自分という病

主に映画の感想 たまに変なことも書きます。あらすじは長いです。

映画感想 移動都市/モータル・エンジン

『移動都市/モータル・エンジン』

  (原題:Mortal Engines)

2018年 128分 ニュージーランドアメリ

評価6点/10点満点中

 

 

トレーラーがでたときから、見たいとは思っていた。いっぽうで、どこか地雷臭も漂っているし、自分が住む地方では上映していなかったので、ついぞ映画館に足を運ぶことはなかった。

いつの間にかレンタルが始まっていて、とうとう手を伸ばした本作。都市自体がキャタピラで動き、小さな都市は大きな都市を捕獲するという食物連鎖が存在する。作中の雰囲気はそれだけでご飯が進む秀逸さだが、大量に放り込まれる設定とキャラクター、早すぎる展開にキャラクターへの感情移入が追い付かない。原作はシリーズ化されている小説であり、二時間強の映画にするために、あまりに詰め込み過ぎたのかもしれない。

世界観は個人的には百億万点なのだが、それ以外の部分がお粗末。映像だけでも楽しめる人はある程度の面白さを感じられるだろうが、そうでない人にはつまらない作品だろう。

 

 

 

あらすじ(ネタバレなし)

「60分戦争」によりアポカリプスがもたらされて以来、人々はキャタピラをつけた移動都市で生活を続けている。移動都市は各地を転々とし、資源を採掘したり、自身より小さな都市を捕食することで資源を得たりしている。これを都市淘汰主義(ダーウィニズム)という。

巨大移動都市のロンドンは、半年前に陸橋をわたりヨーロッパ大陸に進出。小都市ザルツハーケンを捕食する。ロンドンの大英博物館に勤める史学士見習の青年トム・ナッツワーシーは、移動都市から見つかる古代の遺物オールド・テクを集めている。トムはザルツハーケンのオールド・テクを回収するために、下層に向かう。下層では、囚われたザルツハーケンの住民たちがロンドンに入るにあたり威圧的な検査を受けており、検査官がザルツハーケンの住民を殴ったことにより衝突が起こるが、その場に居合わせたロンドンの副市長ヴァレンタインが両者を止める。

歴史ギルドの長でもあるヴァレンタインは、ザルツハーケンの住民たちに丁重な扱いとロンドンでの不自由ない新生活を約束する。歓声を受けるヴァレンタインを、ザルツハーケンにいたマスクの女がナイフで突き刺す。女はマスクを取ると、そこには大きな傷があり、パンドラ・ショウという名前を口にする。傷は浅く、女はもう一撃を加えようとするが、トムに阻止される。解体されるザルツハーケンに逃げ込んだ女を、トムとヴァレンタインが別々に追う。解体ででたゴミを都市外へ吐きだすダストシュートまで女を追いつめたトム。女はダストシュートへ飛び込もうとするが、トムに腕を掴まれる。女は、ヴァレンタインが母を殺したと語り、戸惑うトムに対して、ヘスターのことをヴァレンタインに聞いてみろと言い、彼の手を振り払いダストシュートに落ちる。呆然とするトムのもとに、遅れてヴァレンタインがやってくる。トムが女の言っていたことを伝えると、突如ヴァレンタインはトムをダストシュートに突き落とす。駆け付けたトムの友人で娘のケイトに、トムは女ともみ合って落ちたとヴァレンタインは語る。

都市がつけた轍で目覚めたトムは、ヴァレンタインに突き落とされたことに戸惑いながらも、近くにいた傷の女とともに、ロンドンへ帰るために交易都市を目指す。女は多くを語らないが、トムは女自身がヘスターだと知る。夜、古い記憶の夢から目覚めたヘスターは、近くにトムがいないことに気が付く。トムは轍の外で、近づいてくる移動都市に手を振っている。ヘスターはそれが南方にいる奴隷商のサウジーだと気づく。サウジーは都市から銛を撃って二人を捉えようとする。追いつめられた二人だが、地面に潜っていた虫を模した乗り物に乗っていた老夫婦に助けられる。しかし、ヘスターは足に傷を負う。

ヴァレンタインは、自身が進めるエネルギー計画が進まないこと、彼の提案でヨーロッパ大陸にやってきたのに成果があがらず、蓄えが尽きかけていることを、市長になじられる。ヴァレンタインは研究所にしている聖ポール大聖堂へと赴き、ザルツハーケンから回収したオールド・テクを研究員に渡すと、開発を急ぐように発破をかける。ヴァレンタインはそこで、ある復活者が刑務所都市に捕らえられたこと、その復活者がヘスターのことを探し回っていることを聞く。ヴァレンタインは復活者に会うために、刑務所都市へと飛ぶ。一方でケイトは、父が嘘をついてなにかを隠していることに気が付き、独自に調査を始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

感想(ネタバレあり)

動くは街、動かないのは心

ティム・バートン作品ばりにVFXを詰め込んだ本作。いきなり、小都市ザルツハーケンを大都市のロンドンが襲うというところから物語は始まる。虎のごときロンドンが、ネズミのように矮小なザルツハーケンを追う。移動都市のタイトルにたがわず、戦車にも生物にも見える都市の動きがVFXを使ってまさしく生き生きと描かれている。

しかし、本作のVFXあるいはCGIは、どこか違和感がある。質感が、すごくリアルなゲームといった感じで、実写の人物や物とはどうも浮いているように見え、チープさがある。とくに、シャングオの山並みなどはものすごくのっぺりしている。いっそのこと、3DCGアニメーションとかのほうがよかった気もする。

ただ、作品の雰囲気は抜群にいい。広い湿原を足やキャタピラをつかって移動する巨大都市。錆びた鉄に無造作に伸びるパイプ。噴き出す蒸気が鼻をつき、歯車のうなりが鼓膜を震わす。蟻の巣のような街を人々が動き、自由な空を魚とも鳥ともつかない形の飛行船が飛ぶ。虫のような移動家屋を構える奴隷狩りたちがいて、遺物はロマンと危険を過去から運んでくる。

この雰囲気と世界観で三日くらいご飯が進みそうだ。ゲームにしたらめちゃくちゃ面白そうなのに。ストーリーを進まず一週間は街をうろうろするだろう。ポストアポカリプスの世界で、基本的にはスチームパンクなのだが、山のような形の移動都市の複雑さや人種の多様さなどはサイバーパンクの風味もあるが、印象としてはド直球なスチームパンクで、映画界では、特に実写映画では見るに久しい。

ただ、これらの世界観を支える設定や登場人物の雑多さが、ストーリーを楽しむための妨げになっているように思う。

まず、独自の用語が多すぎる。反移動同盟とか楯の壁とか陸橋とか大傾斜とか。このあたりは文字を見ればだいたい理解ができるのでまだましだが、復活者などはさっぱりわからない。

登場人物ひとりひとりの掘り下げが足りないために、感動的なシーンもうすら寒く見えてしまうし、必要性が感じられないキャラもいる。それらのキャラにも中途半端に焦点を当てるため、頻繁にシーンが移り変わってストーリーも掴みにくくなる。

具材の種類を増やしたせいで、ひとつひとつの質がえらく下がってしまった幕の内弁当といった感じ。それなら美味しい唐揚げ弁当を食べたいのだ。

 

畳めぬ風呂敷、畳んだ企画

これほど設定やキャラが複雑になったのにはなにか背景があるのだろうかと考えると、映画のシリーズ化を狙ったのかもしれない。そもそも原作が四部作構成らしいので、のちのちの作品のために風呂敷を広げておいたのだろう。ヴァレンタインもひょっこり生きていそうだし。ただ、本作は批評的にも売り上げ的にも爆死している。残念ながら、よほどのことがない限り次回作はないだろう。

主人公のヘスター・ショウ。序盤は名前も明かされない彼女。これは日本語字幕版のせいなのかもしれないが、トムが突然彼女のことをヘスターと呼び、少し前から上がっていたヘスターとは彼女だったのだと視聴者は気づく。この時点でなんだか置いて行かれている感じがするのだ。

彼女と復活者シュライクのくだりは、とくに映画と視聴者の乖離が激しいだろう。ヴァレンタインがシュライクのことを語るとき、復活者だとかラザロ旅団の生き残りだとかわけのわからないことを言い出す。ラザロ旅団とは結局なんのことなのかわからなかった。そう思ったら皮をはいだターミネーターみたいなのが現れる。それがターミネーターのごとくヘスターを追いかける。ヴァレンタインに母を殺されて逃亡していたヘスターは、シュライクに拾われて生き永らえ、彼から養育を受けることになる。

復活者とは、かつて人間だったものが機械の体に精神あるいは記憶を引き継ぐこと。その際に一度死ぬので復活者。機械の体になったあとは、あらゆる感情がなくなって、苦しみから解放されるという。おそらくオールド・テクというか、滅びた文明の技術なのだろうが、ちょっと理解するのに時間がかかり、その間にも物語はポンポン進む。

復活者になることを約束したのに、ヴァレンタインが殺せるチャンスを知ったヘスターはシュライクのもとから逃げ出す。シュライクは怒って彼女を追いかける。あらゆる苦しみから解放されるはずなのに、器の小さいやつである。

案の定だが、シュライクはヘスターがトムを愛していることに気が付き、彼女が変わったことを知る。シュライクはヘスターを許し、彼女にパンドラが残したものを返す。停止するシュライクのメモリーには、二人の生活のなかで笑うヘスターが映る。感情を失ったはずのロボットが、娘とも呼べるヘスターとの出会い、そして娘の成長を見て人間性を取り戻すも、死によって別れなければならない感動の場面、、、なのだが、シュライクとヘスターの関係性に関して下地がなく、急にぶっこまれた感があるので、全然感情移入ができない。流れる音楽やヘスターの表情ばかりが悲壮で、見ているほうはあくびがでてくる。そもそも、ヘスターはいつも悲しんでいるから、それから解放するために復活者になることを提案したのはシュライクなのに、彼の記憶に笑顔のヘスターがあるのはどういうことだろう。アンと仲間たちの死に関してもそうだが、まだ視聴者が受け入れられていないキャラの死を見せられたところで感動ができない。寒いし稚拙なだけである。

いろいろツッコミたいキャラはいるのだが、全部上げると長くなるので、あとはヴァレンタインとその娘のケイトだけにしておく。

ヴァレンタインも謎の多いキャラで、彼がいかにして古代の兵器を復活させてシャングオを攻めようと思ったのか、それがまったく描かれていない。せっかくのヒューゴ・ウィービングなのに、少しも魅力が感じられない。彼は自身の妻や、娘すらも殺したり見捨てたりする畜生なのだが、その背景が存在しないので、非常に薄っぺらいのだ。この作品全体を通していえることだが、キャラの動機が見えてこない。動機なく動く機械のようなキャラには、見ているほうは感情移入できない。

娘もケイトは親とは打って変わって善玉で、上層の民だが差別はせず、ヘスターとは対照的な優しく親しみのある女性である。ただ、彼女の正義感が強いのはわかるのだが、父の非道を知ったとき、もうあんな奴は父じゃないと、豹変して断言する。この変わり身はちょっと怖い。もう少し葛藤があってしかるべきじゃないだろうか。どうしてこうも0か1かなのか。しかも、このあとに父に対抗する場面があるわけではなく、ヘスターたちがヴァレンタインを追いつめたあとひょこっと出てきて、特別活躍するわけでもない。正直、彼女はいてもいなくても変わらないキャラで、そんなキャラに尺を割くくらいなら、もっと主役たちを丁寧に描いて欲しかった。

最後に設定へのツッコミ。作中世界では、60分戦争によって世界中が荒廃して、人類は移動都市に住み、わずかな資源を求めて移動を続けて、ときには他の都市を襲って資源を奪う生活を続けている。しかしながら、反移動都市の本拠で、定住都市であるシャングオは、ロンドンよりもはるかに豊かな街並みをしている。シャングオは資源が足りていない様子もなく、作品の根幹である移動都市の必要性を揺るがしている。あれほど豊かに暮らせるのであれば、移動を続けなくてもいいのではないだろうか。おまけに、最後は停止したロンドンを離れた住民たちは、シャングオに迎え入れられる。これを見るに、シャングオがカツカツな様子もない。そもそも、世界は大きな湿地や草原が広がっており、資源が不足していたり、土地が汚染されている様子もない。描写や設定が、肝である「移動都市」に矛盾や無理をもたらしている。また、都市が都市を捕食する「都市淘汰主義」が実際に描かれるのも、冒頭のロンドンがザルツハーケンを飲み込む場面だけである。トレーラーのときは、こういうのがもっと続くものだと思っていたのだけどなあ。

 

 

まとめ

世界観や雰囲気、ひとつひとつの設定はスチームパンク風で抜群に優れている作品。いっぽうで、ストーリーやキャラ、複雑な設定が矛盾やズレを引き起こし、褒められるところは少ない。ゲームしたら面白そう。その一言。