自分という病

主に映画の感想 たまに変なことも書きます。あらすじは長いです。

映画感想 ザ・サイレンス 闇のハンター

『ザ・サイレンス 闇のハンター』

  (原題:The Silence)

2019年 90分 アメリカ/ドイツ

評価 6点/10点満点中

 

本作はNetflixオリジナル映画である。

ホラー映画にも流行りがある。八十年代には『13日の金曜日』の影響でスプラッタージャンルが隆盛を見せ、2000年代には低予算のモキュメンタリーが世界中で爆発的なヒットを記録した。

近年の流行りは、「音を立ててはいけない」だろうか。盲目の老人に追いつめられる恐怖を描いた『ドント・ブリーズ』、音に反応する未知の怪物と家族の戦いを繰り広げられる『クワイエット・プレイス』などがヒットを記録している。「音を立ててはいけない」は、ホラーでは常套の演出だ。壁一枚の向こうに殺人鬼や怪物がいる。存在に気づかれないように、息をひそめ体を強張らせる。視聴者は登場人物と同じ緊張感を味わわせる。上記の二作品はその緊張感を常に作品に張り続ける。また、あえて音を使った戦い方や、『クワイエット・プレイス』では音を立てない工夫をして生活する一家の様子も面白い。

本作では、洞窟に発掘によって外界に放たれた肉食性の蝙蝠ににた生き物が、アメリカの東海岸を襲い、その脅威から逃れる一家を描いている。怪物は小さいが獰猛な捕食者で数千数万の数で人間を襲う。聾の少女アリーは、家族とともに怪物からの逃避行を開始する。

決して良作とは言えない本作。ホラー映画をあまり見たことがない人は楽しめるかもしれないが、ホラー映画好きにとっては大きな欠陥を抱えている。

 

 

 

あらすじ(ネタバレなし)

ペンシルベニア州、アパラシア山道の地下300メートルの洞窟で、巨大な空洞が見つかる。調査員たちは空洞と洞窟を隔てる壁に穴をあけ、空洞の存在をその眼で確かめ歓喜する。しかし、彼らがその空洞に入ろうとしたとき、中から無数の生き物が飛び出す。調査員は肉を食いちぎられ悲鳴をあげる。そして生き物は光のあるほうへと飛び去って行く。

アリーは、ニューヨークから北西に少し外れたモントクレアの街で暮らしている。彼女は事故で聴覚を失っており、高校ではそれを理由に男子からからかわれている。そんな彼女にも、ロブという友人がいる。アリーとロブはお互いに好意を寄せているが、そのことを言えないでいる。今度車を買うというロブは、アリーに来るまで迎えに行くと約束する。

アリーは父のヒュー、母のケリー、弟のジュードと祖母のリンと共に暮らしている。ヒューとケリーは、アリーが聴覚障害が理由で学校での人間関係に苦労していることを知っており、娘を心配している。ヒューは学校でのこと、そしてロブとの関係を聞こうとアリーの部屋で彼女と話をするが、学校でのことはうまく聞きだせない。いっぽうで、ロブがアリーのために手話を勉強していると聞いて彼を気に入る。

その夜、寝ていたアリーは母にたたき起こされる。彼女が居間に向かうと、家族がテレビにくぎ付けになっている。父の仕事仲間で親友のグレンもやってきて、全員でテレビを注視する。テレビは、アメリカが攻撃を受けていること、非常事態宣言が出されたことを伝えている。襲撃を受けたニュージャージからSNSに投稿された映像には、車内で涙を浮かべている女性。後部座席に乗る子どもの口にはテープが張られていて、窓には血の跡がある。女性は”DON'T MAKE NOISE”(音を出すな)と書かれた紙を掲げる。テレビは外出をやめて静かにするように注意を促す。外に出たヒューは戦闘機が飛んでいるのを見る。そしてニュースでは、怪物が洞窟から飛び立ったときの映像を流し、緊急放送の画面に切り替わる。指示に従い家に残ろうと言うヒューだが、アリーが街自体が喧騒に包まれていることを指摘したため、家族は移動することに決める。

移動の準備を進める中、リンは娘のケリーに持病の薬を渡す。残ってもいいと言うケリーだが、リンは一緒に行くと答える。

家族は車でより静かな田舎へ移動することにする。グレンの車には武器が搭載されており、それに惹かれたジュードはグレンの車へ、残りの家族とペットの犬のオーティスはヒューが運転する車に乗り移動する。遠くに見えるニューヨークでは、炎があがっていた。

ニューヨークの地下鉄。停止している車内では、赤ん坊の泣き声だけが響いている。立ち上がった男が母親から赤ん坊を奪い、車外に出そうとする。母親は自分も外に出ると言い、薄暗い地下鉄の中を赤ん坊を抱いて進む。しばらくは静かだった赤ん坊だが、おしゃぶりを落として泣きだす。すると無数の羽音が地下鉄に満ちて、女性は走って車内へ戻ろうとする。

途中で給油によったガソリンスタンドで、銃をもった男に車を奪われそうになるなどのトラブルがあったものの、一同は進む。ロブはアリーとの通話で街に残ることを伝え、二人はお互いの安全を願う。

渋滞に捕まった一同は、グレンのアイデアで山道を進むことにする。途中、怯えたジュードがヒューの車に戻る。順調に進んでいたが、飛び出してきた鹿を避けようとして、グレンの車が横転して斜面を転がる。なんとかグレンを救出しようとするヒューだが、そこに「べスプ」と名付けられた怪物たちが迫る。

空からやってくる「べスプ」の恐怖、そして混乱した人々による暴動。アリーたちは無事に安全な場所を見つけることができるのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

感想(ネタバレあり)

飛んでいる敵は強い

ファミコンのアクションゲームにおいて飛んでいる敵は強敵である。自分も『忍者龍剣伝』で何度も鳥に体当たりされてはノックバックで穴に落ちた。

本作の怪物である「べスプ」は、蝙蝠と爬虫類の中間の見た目で、中型犬ほどの大きさであり、突進すれば車の窓ガラスにひびを入れる力を持つ。それが空から群れをなして襲ってくるのだから人間なんてひとたまりもないだろう。いっぽうで、暗闇に順応したべスプは、視覚のいっさいを失っている。

このべスプをいかに対処するかが本作の肝なのだが、その点は『クワイエット・プレイス』と比べれば見劣りするだろう。薬屋での対処法として、燃えるモップを火災報知機に近づけて警報を鳴らすというのがあったが、これ自体には目新しさは感じられない。慎重な足取りであればべスプは襲ってこないようであり、基本的な移動にも注意は払ていない。『クワイエット・プレイス』の家族が裸足だったり、道に砂を撒いていたりしていたことを考えれば、べスプはずいぶん優しい。こうなるとせっかくの「音を立ててはいけない」という設定が活かしきれていないように感じる。『クワイエット・プレイス』との比較ばかりで申し訳ないが、やはりそちらと比べると緊張感が足りない。

良かったと思える演出もある。ヒューが木材破砕機を使ってベスパを一網打尽にしたシーンだ。ホラー映画ではおなじみの木材破砕機は大きな音を立てる。目の見えない、またそれほど大きくはないベスパは、まさしく飛んで火にいる夏の虫といったように破砕機に吸い込まれる。もうずっとこれを作動しとけばいいんじゃないかな、と思うほどの破壊力だ。

ベスパはどうも魅力にかける。どうも本作ではメインの脅威ではなく、舞台装置的な役割しかもっていないように感じる。

 

 

ホラーマニアは未来を見る

はじめに本作にはホラー映画マニアにとっては欠陥があると書いた。その欠陥はストーリーの展開、演出だ。映画に限らずストーリーをもつものには、定石となっている展開と演出がいくつも存在する。戦いの前にフィアンセのことを話すと死ぬだとか、爆炎に包まれた敵は生きているとか、ベジータの連続エネルギー波は効かないとかだ。このような展開と演出は、うまく使えば王道であるし、あえて逆行すれば視聴者に意外性を与えることができる。

ホラー映画にもたくさんの決まり手がある。しかし、ホラーとは先が読めていれば怖くない。そのため、ホラーの作り手はいかに見るのもの裏をかくかに苦心するし、ホラー映画好きは作り手の意図を読もうとする。この攻防もホラーの持つひとつの面白さであると、自分は思っている。『13日の金曜日』が名作となったのは、ラストのあれがあったからだとも思っている。

残念なことに、ホラー映画好きにとって本作の展開は、ほとんど読めてしまう退屈ものだろう。グレンの車からジュードが降りた時点でグレンは死ぬだろうと思うし、祖母のリンが薬を常用しているのが分かった時点で、彼女もなんらかの犠牲になって死ぬだろうと思うわけである。案の定、グレンの車は横転するし、リンは孫娘を助けるためにカルト信者を道連れにする。後者などは感動のシーンなのだろうが、個人的には「知ってた」という感想しかない。二人とも死亡フラグがビンビンなのである。

宗教的な暴動の情報が出たときも、のちのちカルト教団がやってくるのだな、とも思う。これらの点に関しては、制作側が張った伏線があまりにも見え見えで、伏線の意味をなしていないことが原因だと思う。カルト教団の作戦についても、音を利用することは見え見えだったし、少女も怪しさ満点だった。見る側としてはドキドキよりもヤキモキするほうが多い。

カルト教団が出てくること、抗生物質を求めて危険を冒して薬屋に忍びこむことなども、ホラー好きにとっては親の顔より見た展開だ。

本作は90分と昨今の映画にしては短く、話も調子よく進むので退屈することは少ない。その点は褒めたいのだが、やはり読めている展開が続くので、結局退屈してしまうのが残念だ。読める展開を楽しむという見方もあるかもしれないが、それはホラーの楽しみとしてどうなのだろう? 友達と盛り上がるにはいいかもしれない。

社会の混乱を通して家族の絆を描くという側面も、やはり『クワイエット・プレイス』には大きく劣る。とくに家族同然のグレンの死をみんな簡単に受け止めすぎではないだろうか。本来は臆病で平和的なヒューが、娘のためにカルトに立ち向かう展開も、いま少し物足りなさを感じる。

 

 

まとめ

それなりの丁寧さはあったものの、作り手の冒険心が感じられず、凡庸な作品となってしまった一本。ホラー映画ならばやはり意外性は欲しいところだ。同じNetflixオリジナルである『バード・ボックス』は個人的に好きだったので、期待していたぶん残念だった。それとどうしても『クワイエット・プレイス』と比べてしまうところも、本作の向かい風か。

 

 

余談

ベスパはあの洞窟でどのようにして生きてきたのだろう。作中の描写から少なくとも十数万はいそうなあの攻撃的な生き物が、聴覚が鋭敏になるほどの長い時間、洞窟に潜むにはかなりの食料が必要だったはずだ。空洞の大きさがどれほどかはわからないが、あれだけの数を賄える生き物が他にいたとは考えにくい。やはり共食いだろうか? それと、あれほど聴覚がいいのであれば、自分たちの羽音もかなりうるさそうだし、目が見えないのに洞窟から一直線に光のほうへ向かうのはどうしたわけだろう。