自分という病

主に映画の感想 たまに変なことも書きます。あらすじは長いです。

映画感想 ドラキュリアン

『ドラキュリアン』

  (原題:Monster Squad)

82分 1987年 アメリ

評価 6点/10点満点中

 

ドラキュラを吸血鬼という意味だと思ってる人はけっこう多いよね。

ドラキュラ伯爵、フランケンシュタインの怪物、ミイラ男、ギルマン(魚人)に狼男。どれもが古き良きホラー映画の悪役たちで、現在においてはチープさを感じるキャラクターたちでもある。そんなチープなキャラたちをチープに描いたのが本作『ドラキュリアン』で、タイトルが示唆する通りホラーコメディだ。

上記の怪物たちは、ユニバーサルピクチャーズの古い映画に登場した怪物たちで、ユニバーサルモンスターズと呼ばれる。それらと対峙する子どもたちは、どこか『スタンド・バイ・ミー』を彷彿とさせる、、、気もしなくはない。

八十年代ホラーコメディとして一定のクオリティはあるのだが、物語が進むにつれてストーリーが適当になっていき、画面から集中が外れてしまう。もう少し、各怪物の特徴を活かして欲しかった。序盤はそれなりに面白く、郷愁を誘う画もあるので、そういうのに浸りたい方は見てもいいと思う。

 

 

 

 

あらすじ(ネタバレなし)

1887年のトランシルヴァニアヴァン・ヘルシング教授は、ドラキュラ伯爵率いる怪物たちと戦っていた。ヘルシング教授は、処女に呪文を唱えることで発動する秘石を用いて、ドラキュラ伯爵を煉獄に送ろうとしたが失敗し、自身が煉獄への穴へと吸い込まれてしまう。

百年後の1987年のアメリカ。12歳のショーンは「怪物クラブ」を作り、友人のパトリック、ホレス、ユージンと怪物について語り合う日常を過ごしている。ある日、ホレスの友人で中学生の不良であるルディをショーンたちに紹介する。クラブのツリーハウスに来たルディは、そこから隣の家の少女の着替えが覗けることに気がつくと、クラブへ加入する。

同じ頃、秘石を求めるドラキュラ伯爵は、フランケンシュタインの怪物が入った棺桶とともに乗り込んだ飛行機から落下。コウモリに変身して地上の沼地に降り立ったドラキュラ伯爵はアメリカで活動を始める。

「怪物クラブ」から帰ってきたショーンは、母からヴァン・ヘルシング教授の日記をもらうが、ドイツ語で書かれており読むことができない。その夜、映画を見に行こうとしたショーンだが、両親が夫婦カウンセリングのために妹のフィービーの子守をすることになる。しかし、警察官である父のデルは急な出動のために家を出る。

デルは博物館に呼び出され、ミイラがひとりでになくなったと聞かされる。手掛かりはなく、デルはうんざりして家に戻る。デルは妻とはげしい喧嘩をして、それをショーンが目撃する。両親の喧嘩を悲しむショーンは、冷蔵庫に貼ってあったメモから、ドラキュラが近くに来ていることを知る。

警察署では狼男を名乗る男が、自分を牢屋へと入れてくれと叫び暴れている。男は警察官の銃を奪ったために撃たれる。死亡したとみなされ救急車で運ばれる男だったが、その体は狼男に変身してレスキュー隊員を襲う。怪物たちを集めたドラキュラ伯爵は、雷を用いてフランケンシュタインの怪物を復活させる。ショーンたちがヘルシングの日記を持つことを突き止めていたドラキュラ伯爵は、フランケンシュタインの怪物に日記を手に入れるように命令する。

ヘルシングの日記の解読のため、ショーンたちは近所に住む「恐怖のドイツ人」の家を訪ねる。幽霊だと噂される「恐怖のドイツ人」だったが、ショーンたちを温かくもてなして、日記の訳も喜んで引き受けてくれる。日記から、明日が百年に一度の善と悪の力が均衡になる日であり、その日に秘石と処女の唱える呪文を使うことでドラキュラを煉獄へと封印できることを知る。ショーンたちはドラキュラと戦うことを決める。

いっぽう、ショーンの妹フィービーのもとに、フランケンシュタインの怪物が現れる。

 

 

 

 

 

 

 

感想(ネタバレあり)

ドラキュラ伯爵、運転をする

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丘に立つドラキュラ伯爵

本作のドラキュラ伯爵は、トワイライトな青年でもなければインタビューされそうなハンサムでもない。蒼白の顔に黒髪のオールバックをして襟の立ったマントを着ている。かのベラ・ルゴシのドラキュラ伯爵を彷彿とさせる正統派だ。

しかし車を運転する。

どこで手に入れたのか、改造した黒光りの高級車を自身で乗り回し、丘の上から街の夜景を見下ろす。そのまま『ラ・ラ・ランド』でも始まりそうな雰囲気だ。こういうところは真面目風ギャグとしてクスっとできる。

けれども、特色があるといえるのはこれくらいで、子どもたちパートはこれといった特徴もなく、戦闘パートもわりと退屈。また、キャラが多いためかひとりひとりの掘り下げがなく、そのわりにはなにかを匂わすような描写がある。不良のルディがいじめられっ子のホレスと友人である理由とか、なぜ老人が「恐怖のドイツ人」と呼ばれるようになったのかなど。こういったものが散りばめられるおかげで前半は楽しめるのだが、後半は拍子抜けに感じる。ショーンの両親の関係も、ドラマ無しに解決してしまった。

やはりこの作品の魅力はドラキュラ伯爵様だ。改造車を乗り回すだけでなく、ダイナマイトをぶん投げる。

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ダイナマイトを持つドラキュラ伯爵

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ツリーハウスにダイナマイトを投げるドラキュラ伯爵

大人げないドラキュラ伯爵は、ショーンたちの基地になっているツリーハウスにダイナマイトを投げ込む。当然ツリーハウスは爆発四散。さらに駆け付けたショーンの父であるデルの相棒を爆殺する。吸血鬼のくせにダイナマイトを使う。かなり現代に順応されているようである。
不思議なことに、作中にはダイナマイトが何度か登場する。この作品の人々はダイナマイトを常備しているらしい。ならドラキュラ伯爵がダイナマイトを持っているのも納得である。

 

二千年待った結果

映画の本編とはまったく関係のない話だが、作中の描写を見て、モンスターとしてのミイラ男の強みを考えてしまった。本作のミイラ男は、1932年に公開されたユニバーサルピクチャーズの『ミイラ再生』のミイラ男がモチーフになっていると思われる。博物館に展示されていたミイラが動き出したという設定だ。

古い歴史を持つミイラ男だが、中身は乾燥した死体である。作中でも「二千年前に死んだ男の死体」と言われている。ミイラの強度について詳しくはないが、おそらく脆いと思われる。実際に、ミイラは手足を硬直させてヨタヨタと歩くように描写される。こうなるとまったく脅威であるとは思えない。動きは緩慢であり、強度もない。かりに不死身だったとしても、なんとかなりそうである。

作中でのミイラ男の扱いもひどく、狼男が逃げ出した場面でカメラに見切れたり、なぜかユージンの家のクローゼットに入っていて、なんの危害も加えることなく出ていったり。あげくの果てには包帯がほどけて成仏ときている。普通に銃殺されたギルマンも大概だが、ミイラ男の扱いは一段とひどい。二千年も生きてきた(?)のに、これが最後なのはあんまりだ。生前はさぞ立派な地位にいただろうに。

こういった怪物の雑な扱いも、作品から魅力を奪ってしまっている。

 

 

まとめ

ただただダイナマイトを投げるドラキュラ伯爵が面白い作品。もう少し怪物の特性を活かしてほしかった。五歳児を処女扱いしたのは結構好き。