自分という病

主に映画の感想 たまに変なことも書きます。あらすじは長いです。

映画感想 フライトナイト

フライトナイト

  (原題:Fright Night)

1985年 106分 アメリ

評価 7.5点/10点満点中

 

 

深夜にテレビで放映される映画には、なんとも言えない趣がある。最近ではこの深夜帯でも名作映画が放送されるが、十数年前はB級映画が多かった。小学生のころ、親に内緒で夜更かしをして、暗い部屋で見ていた人も多いのではないだろうか。

自分はそのときに見た『マーズ・アタック!』が長い間トラウマだった。ぎょろりとした目と肥大した脳みその火星人が放つ光線で人が灰になる光景には戦慄した。いま見ると、豪華な俳優陣による良質なコメディ映画だが、子どもには結構恐ろしい。そのためか、マーズ・アタックのサジェストにはトラウマという言葉が出てくる。

本作『フライトナイト』も深夜に放送するB級映画の雰囲気を持つ作品。思春期の少年が隣家に越してきた吸血鬼に挑むホラーコメディ。グロは少ないがエロはあり。自分は平成生まれだが、本作からは八十年代の空気が感じられ、知らないのに八十年代へのノスタルジーがわいてくる。ストーリーは大雑把、というかどこかで見たような展開が続くが、それはかえってきちんと王道を踏んでいると言える。大声で笑うようなコメディではなく、クスクス笑えるタイプのコメディ。ポップコーンムービーとしておススメ。ただしおっぱいがでるので家族で見ると少し気まずいかも。

 

 

 

 

あらすじ(ネタバレなし)

チャーリーは付き合って一年になる恋人エイミーとキスしている。つきっぱなしのテレビでは、二人の好きな番組『フライトナイト』が放送している。チャーリーが彼女の服を捲ろうとしたとき、エイミーは彼を拒絶する。このように、エイミーは一年の間、彼の誘いを断り続けている。落胆するチャーリーを見て、とうとう覚悟を決めたエイミーは、下着だけになってチャーリーに呼び掛ける。しかしチャーリーは、空き家である隣家の地下に運び込まれる様子にくぎ付けになっている。何度呼び掛けても反応がないチャーリーにうんざりしたエイミーは、服を着ると怒って部屋を出てしまう。彼女を追いかけて一階に行くと、チャーリーの母がエイミーを呼び止める。二人の関係をからかう母だが、チャーリーはリビングから見える隣家から目を離せない。帰りの挨拶も無視されたエイミーは、そのままチャーリーの家を出ていく。母は隣家に男と住み込みの大工が越してきたのだと言う。テレビでは、操車場で死体が見つかったというニュースが流れる。

翌日の学校でチャーリーはエイミーに無視され、それを友人の疫病神ことエドにからかわれる。家に帰ってきたチャーリーは、美女に住所を尋ねられる。その住所は隣家のもので、彼はそれを美女に教える。その夜、勉強中のチャーリーは女性の悲鳴を聞く。

ファストフード店でエイミーと仲直りをするチャーリー。しかし、彼女が話している最中に、昨日見た美女が殺されたというニュースを見て、そちらに意識が取られてしまう。彼の態度にまた怒ったエイミーは、ハンバーグをチャーリーの顔にぶつけて去っていく。

家に帰ったチャーリーは、こっそりと隣家の地下室を開けようとするが、家から出てきた男に止められる。その夜、隣家が気になるチャーリーは、双眼鏡で明かりが点いている部屋を覗くが、思わず眠ってしまう。目を覚ましたチャーリーは、昼間の男とは別の男が女の服を脱がす場面を目撃する。興奮して目が離せないチャーリー。しかし、女の首に近づく男の口に牙があるのを見て、男が吸血鬼だと確信する。さらに、男と目が合ったチャーリーは、急いで母を起こしに行くが母は相手にしない。外に飛び出したチャーリーは、昼間の男が車に大きな袋を載せるのを見る。生垣に隠れていると、吸血鬼の男も現れる。チャーリーが息をひそめていると、母が玄関から顔をだし彼の名前を呼ぶ。その隙をついてチャーリーは家に戻る。吸血鬼はチャーリーの家をじっと見つめる。

チャーリーは母とエイミーに、隣の男は吸血鬼だと言うが取り合ってもらいない。仕方なく、チャーリーは男が吸血鬼だということを伏せて、行方不明の女性のことで警察を隣家に連れて行く。吸血鬼の男ジェリーは不在だが、同居するビリーが対応に出る。家は改修中だが豪華な装飾に満たされている。チャーリーはその中にあった肖像画の女性がエイミーに似ていることに気が付く。警察の追及をのらりくらりとかわすビリーに苛立ったチャーリーは、地下室に行こうと提案する。しかしビリーが断るので、ついにチャーリーはジェリーが吸血鬼だと言い出す。すると警察も呆れて帰ってしまう。

チャーリーはエドのもとを訪れ、八ドルで吸血鬼対策を聞き出す。そして、招かなければ吸血鬼は入ってこれないと聞いて安心する。

家に帰って窓に釘を打つチャーリー。母に呼ばれたのでリビングに行くと、そこにはジェリーが立っている。母が彼を招いたと言う。これからはいつでも入れると冗談めかして言うジェリーに慄いて、チャーリーは部屋に戻る。

真夜中、物音で目覚めたチャーリーのもとに、ジェリーが現れて、自分たちのことを忘れるように脅す。窓に体を投げ出されそうになったチャーリーは、鉛筆でジェリーの手を指す。激怒したジェリーは化け物の姿になりチャーリーに襲い掛かろうとするが、目を覚ました母がドアを叩いたので、ジェリーは退散する。

そして、チャーリーとジェリーの戦いが始まる。

 

 

 

 

感想(ネタバレあり)

吸血鬼栄枯盛衰

重要な登場人物のピーター・ビンセントのセリフにこんなものがある。

「ヴァンパイアはもうおよびじゃないらしい。君らの好みは女をメッタ切りにする仮面男だ」

ちょうど八十年代は『13日の金曜日』をはじめとするスラッシャー映画の全盛期だ。コメディ作品だが、この映画には衰退していく吸血鬼映画への哀悼も感じられる。

映画の黎明期において吸血鬼はホラー映画の代名詞だった。1922年には『吸血鬼ノスフェラトゥ』が公開されて、それから第二次世界大戦後まではいくつもの吸血鬼映画が作られた。棺桶から起き上がる蒼白の吸血鬼が、その牙を剥き出しにして美女を襲う。その光景は残虐でありながらも官能的だ。

しかしながら、吸血鬼の時代もせいぜい六十年代まで。七十年代には『エクソシスト』や『オーメン』などの悪魔が悪役となる映画が生まれ、八十年代は仮面の殺人鬼が多くの女性を血祭りにあげ、九十年代後半はジャパンホラーに代表される幽霊や呪いもの、そして二千年代からの主役はゾンビだった。

だからといって吸血鬼の命脈が途絶えたわけではないが、その描かれ方は大きく変わった。蒼白で美形に描かれることが多い吸血鬼は、『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』のように悲しい宿命を背負う存在になったり、『トワイライト・サーガ』シリーズのようロマンスの相手となった。恐ろしい吸血鬼が登場しても、『ブレイド』シリーズや『アンダーワールド』シリーズのようにアクション映画が彼らの舞台となった。純粋に恐怖の対象となるヴァンパイアは大きく数を減らした。

本作はコメディなので、登場するジェリーも怖いわけではない。だが、黒髪のハンサムで、美女を狙い官能的な吸血シーンなど、昔ながらの吸血鬼といった感じだ。

この映画自体に、吸血鬼が受けなくなった理由が見える。

まず、吸血鬼は地味だ。無数のゾンビが襲ってきたり、首が百八十度振り返ったり、理不尽に人を滅多切りにする殺人鬼に比べると、毎晩美女を一人一人襲う吸血鬼はどうしても地味だ。おまけに弱点が多すぎる。十字架や銀の弾丸ならともかく、にんにくにも弱いとなると、いくらでも打開策ができてしまう。日光に当たってはいけないのは、昼間のシーンを撮ることができない致命的な点だ。白黒映画のころなら気にならなくても、カラー映画でははっきりと色が出て画面が暗くなりがちだ。

本作のジェリーもすぐに十字架にビビるし、聖水(水道水)を飲むときもかなり恐る恐るである。コメディ映画だからそういった点が強調されているのだろうが、対処の仕様がない悪魔や幽霊、超人的な殺人鬼と比べると、情けなさすら感じてしまう。

吸血鬼が恐怖の象徴として衰えた理由は他にもたくさんあるだろうが、地味なのと弱さは大きな理由の一つではないだろうか。

 

the great vampire killer

閑話休題

本作においてもっとも輝いているのが、ピーター・ビンセントだ。『フライトナイト』のMCであり、多くの吸血鬼映画でヴァンパイア・キラーを演じてきた俳優。しかしながらその実態は、時代遅れと言われて番組を下ろされて、日々の生活にも困る老人だ。おまけに吸血鬼の存在なんて信じていない。しかしながら、終盤ではチャーリーの助けに応えて、正真正銘のヴァンパイア・キラーになる。個人的には主人公のチャーリーや吸血鬼のジェリーも食っている良いキャラクターだと思う。

老人という点も、原点であるブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』のヴァン・ヘルシングリスペクトでいい。

偽物が試練を通して本物になる展開はよく見るもので王道だ。しかし、本作は丁寧に王道を描くことによって、王道のもつ面白さを引き出している。その代償といってはなんだが、主人公のチャーリーの活躍がどうも目立たない。ビリーを倒したのも、ジェリー打倒のきっかけになったのもチャーリーなのだが、やっぱりビンセントが横にいてのキャラになっている。

それと上述したようにジェリーの弱さが目立つ。ビリーのほうが強かったんじゃないだろうか。というかビリーの正体はなんだったのだろう? フランケンシュタインの怪物にしては顔が整っている。それともゾンビだろうか。あと、ジェリーとビリーはやたらとボディタッチが多かったが、二人の関係に裏設定でもあるのだろうか。そのあたりの説明は作中ではない。エイミーに似ている女性についても、掘り下げはなかったので、ジェリーとの関係が気になる、、、というほどではない。やっぱりコメディだからだろう。『フライトナイト』はポップコーンムービーなのだ。

おまけ程度に書くが、特殊メイクがけっこうすごい。狼に変身したエドが人間に戻るシーンなんかは、『狼男アメリカン』を彷彿とさせる。

 

 

まとめ

頭を空っぽにして鑑賞できる良質なポップコーンムービーであり、恐怖の象徴から転がり落ちてしまった吸血鬼に思いをはせることができる作品。他人と見るよりも、暇な夜に一人で見るのに適した映画。楽しいフライトナイトを過ごせるだろう。