自分という病

主に映画の感想 たまに変なことも書きます。あらすじは長いです。

映画感想 ぼくのエリ 200歳の少女

『ぼくのエリ 200歳の少女』

  (原題:Låt den rätte komma in)

  (英題:Let the Right One In)

2008年 115分 スウェーデン

評価 10点/10点満点中

 

 

ただ大好きな映画です、はい。

この映画を初めて見たとき、ただただ衝撃だった。北欧の陰鬱として静謐な雰囲気、そこで始まる少年の恋と血塗れの少女、そして声もでない素晴らしいラスト。この映画に文句をつけるとするならば、邦題と日本版に入った修正くらいだ。とくに後者の修正は物語の核心をぼやけさせてしまうものだ。それでもこの映画は素晴らしい。何度見ても二時間近くの時間、まるまる惹きこまれてしまう。

けっして雄弁な映画ではない。語られないことも多いので、さまざまなことを想像して補完する必要がある。登場人物の関係性や彼らを取り巻く環境、エピローグのあと。原作が邦訳版で上下巻750ページを超える大作なので、二時間の尺に合わせるには多くのことを削らなければならなかった。それでも魅力を失わないのは、登場人物の視線や表情、セリフのひとつから多くのことが読み取れるからだ。そしてそれらの小さなことに気が付くことができるほど、この映画に惹きこまれる。

原作と大まかな筋は同じだ。だが、原作では映画では語られなかった多くのことが描かれている。とくにホーカン、ラッケ、ヴィルギニアのキャラクターが深く掘り下げられている。オスカー(原作邦訳ではオスカル)の友人としてトンミという重要なキャラクターが登場する。なによりも、断片的だがエリの過去が語られ、映画では超然としたエリの心情も描かれている。原作は早川書房から『MORSE』のタイトルで出版されているので、この映画を気に入った人は買ってみよう。

 

 

 

 

 

 

ダイレクトマーケティングをしたところで、あらすじへ。しかし、映画のタイトルも原作邦訳通り『MORSE』でよかったのでは? ハリウッドリメイクは『MORSE』だし。

 

 

 

 

 

 

 

あらすじ(ネタバレなし)

ストックホルム郊外の街ブラッケベリ。団地に母と二人で暮らすいじめられっ子の少年オスカーは、夜中に引っ越してきた中年の男と少女を目撃する。

引っ越してきた中年の男ホーカンは、ポスターや段ボールを使って窓をふさぐ。その様子を、地元に住むアルコール中毒の男ラッケが見上げる。

オスカーは学校で警察官の講義を受ける。火事の現場から見つかった死体が他殺と判断された理由は?という質問に、オスカーが手をあげて、煙を吸ってなかったからと答える。正解したオスカーを、いじめっ子のコンニが睨む。授業後、コンニはオスカーを虐める。

ポリタンクにナイフ、ガス缶を持って出かけたホーカンは、街はずれの森で通行人にガスを嗅がせる。昏倒した通行人を木に吊るした彼は、首を切って流れる血をタンクに集める。順調に血を集めるホーカンだったが、散歩中の犬が彼のもとに寄って来て、さらに飼い主が近づいてくる。見つかることを恐れた彼は、急いで荷物をまとめてその場を去る。

夜になり団地の中庭に出たオスカーは、ナイフで木を刺して虐められている憂さを晴らしていると、ジャングルジムに立つ少女に気が付く。オスカーの隣の部屋に住んでいるという少女は、「友達にはなれない」と言って団地の中に戻る。

犯行後、電車に乗って団地に帰るホーカンは、現場に血を溜めたタンクを忘れてきたことに気が付く。部屋に帰ったホーカンは少女に責められる。怒声を発する少女に、ホーカンはただ謝る。

学校では、先生が森で起きた殺人事件のことを話し、生徒たちに注意喚起する。オスカーはその日、トイレに隠れてコンニをやり過ごす。家に帰ったオスカーは、事件や事故の記事を集めたスクラップブックに、森の事件の記事を足す。

恋人のヴィルギニアや友人たちと馴染みの店で飲んでいたラッケは、初めて見る顔であるホーカンに気が付く。彼に話しかけるラッケだが、ホーカンは不愛想に店を出る。

夜、中庭でルービックキューブをしていたオスカーのそばに、少女がやってくる。ルービックキューブを知らない少女に、オスカーはやり方を教えてキューブを貸す。彼女が臭うことを指摘するオスカー。また、薄着の彼女に寒くないのかと尋ねる。少女は感じない、と答える。オスカーが去ったあと、少女は自分の体を抱きしめて震える。

さんざん飲み明かしたラッケは、帰り道で親友のヨッケと別れる。ヨッケは高架下を通ったとき、少女が倒れていることに気が付く。ヨッケが運ぼうと少女を抱き上げると、彼女は突如ヨッケの首筋に噛みつく。抵抗するヨッケだが、異常な力で少女は彼にしがみつき、ヨッケは雪の上に倒れる。少女は倒れたヨッケの首をひねる。一連の恐ろしい出来事を、ラッケたちの知人であるイェースタが、近くのアパートから目撃する。

家に帰った少女は、彼女の行為についてホーカンと口論をする。オスカルは壁越しに二人の言い合いを聞き、どこかに出ていくホーカンを窓から見る。ホーカンはヨッケの死体を運ぶと、小さな池に落として氷の下に隠す。イェースタはラッケたちに自分が見たことを話す。ラッケたちは現場に行くが、すでにホーカンの死体は消えている。かわりに、彼らは雪の下に血の塊を見つける。

学校へ向かうオスカーは、ジャングルジムに置かれたルービックキューブを手にする。キューブは六面すべてが揃っており、オスカルは少女の部屋のほうを見て微笑む。夜になり、オスカーは中庭で少女と会う。「もう臭わない?」と少女が尋ねると、オスカーは恥ずかしそうに顔を伏せる。少女はエリと名乗り、「だいたい十二歳」だと言う。

授業が終わってもオスカルは学校に残り、百科事典からモールス信号を書き写す。帰りにコンニたちが彼を捕まえ、コンニの命令で取り巻きがオスカーを枝で叩く。一発がオスカーの頬を叩き傷をつくる。母には転んだと言ったオスカーだが、エリにはいじめられっ子にやられたと告白する。エリは言う。

「やりかえして」「思い知らせてやるの」

不安がるオスカーにエリはさらに言う。

「大丈夫だよ。手伝うから」

エリはオスカーに手を重ねる。オスカーは思わず手を避けて、そのまま中庭を出て行ってしまう。二人の様子をホーカンが冷たい目で見る。

そのあと二人は、壁を叩いてモールス信号を使い会話する。

人の血を飲んで生きる少女エリ。彼女に協力する男ホーカン。親友の敵討ちを誓うラッケ。エリに恋し、コンニと戦うことを決めたオスカー。

エリの秘密を知ったとき、少年の恋はより尊い感情へと変貌する。

 

 

 

 

感想(ネタバレあり)

白い雪、赤い血、桃色の恋

いじめられっ子が不思議な少女と出会い、いじめに立ち向かう決意をする。ボーイミーツガールのよくあるパターンのひとつだ。少女が実は少年でヴァンパイアでなければ。本作は少年オスカーの初心な恋と、生きるために殺さなければならない悲しいヴァンパイアを描いている。

オスカーを一言で表すなら、少年、だ。エリのことが気になりつつも、最初は突き放すように接する。それでもエリに会えることを期待して、夜の公園で待つ。ルービックキューブを知らないエリに優越感を抱いて、それを貸すことで少しは気が引けたと思う。買ったお菓子をあげてかっこつけようとするところも、ストレートに付き合ってというところも、少年らしい青くささがある。とくに、裸で入ってきたエリに対して付き合ってというシーン。付き合うとなにか変わるのか尋ねるエリに、オスカーはなにも変わらないと答える。本当は恋人同士がする行為を知っている。けれども気恥ずかしくて言えないし、なによりもエリと付き合いたい。そうした思いが透けて見える。そして現金なことに、エリがガールフレンドになったから、彼はコンニに反撃する。

ホラーや猟奇事件好きの彼は、エリと血の誓いを交わそうとする。痛みを伴う奇妙な儀式で、エリとの関係を永遠にできると思うところが子供らしく、それだけに血を見たときのエリの行動は、彼にとっては衝撃的だった。そのあとオスカーは、エリを突き放すような行動に出る。エリがお金を渡そうとすることを非難するのだ。単純にビビっていて、それを隠すためにそうした態度がでたのだろう。「もう帰る」と言ったときの表情からは、幼い虚勢が見て取れる。

そのあとエリが彼の家を訪ねたとき、オスカーはエリを試す。本当はエリがヴァンパイアだということを認めたくなかった。それでも彼はエリの覚悟を見て、自分もエリを受け入れる覚悟をする。だけどもこの覚悟は、けっして強固なものではない。やはりオスカーの中にはエリに対する恐れがある。

そして、その後が衝撃だ。日本版ではぼかし修正が入っているシーンである。本当にこのぼかしは最悪だ。こここそが本作で一番重要なシーンなのだから。

オスカーはエリの着替えを覗く。スケベ心からなのか、自分が抱いていた疑問を確かめるためかはわからないが、前者と後者が2:8くらいだろう。彼が抱いていた疑問は、視聴者も気になっていることだと思う。エリはたびたび、自分のことを女の子ではないと言う。その事実が判明するのがこのシーンだ。日本版ではボカシが入っていてわからないが、エリの股間には去勢手術の跡がある。しかもかなり痛々しい。これを見てオスカーはエリが男だと確信するに至る。そしてそれでもなお、エリとともに生きていくことを決める。性別や人間性を超えた愛をオスカーは抱く。このオスカーが到達する愛こそが、この映画で一番感動的なところなのに。

このぼかしのせいで、エリが男だと気づかず見終わった人は多いのではないだろうか。ポルノ判定だからぼかしがはいったのかはわからないが、邦題と同じく最悪のローカライズだ。

 ニコニコ動画にそのシーンの無修正動画があるので、「ぼくのエリ ぼかし」等の検索ワードで調べるか、英語かスウェーデン語がわかるのなら海外版を購入して見よう。

オスカーを演じたカーレ・ヘーデブラントの美少年っぷりはすごい。線が細くびっくりするくらい長い手足。その綺麗な顔が見せる表情の微妙な演技が素晴らしい。エリの置手紙を見て微笑むところや、頬を枝で打たれたときの痛みを堪える顔、そしてエリが助けに現れたときの無邪気な笑顔。彼以上にオスカーを演じられる人はいないだろう。いまでもちょこちょこ俳優活動をしているらしい。無事にイケメンに育っている。

 

永遠の12歳、エリ

映画ではあまりエリのキャラクターは掘り下げられない。ヴァンパイアであること、二百年生きていること(映画では明確な年数は出てなかったと思う。原作では二百年ほど生きていることが書かれている)、去勢された少年であることしかわからない。

原作ではエリの本名も書かれており、断片的だが過去も描かれている。ただエリの過去はオスカーの幻視として描かれているので、去勢された場面はあるものの理由はわからない。だがなによりも、原作ではエリの心情を読むことができる。

映画でのエリはかなりミステリアスだ。オスカーに対するエリの気持ちもよくわからない。エリはオスカーに対してどういう気持ちを抱いているのか?

エリは二百年生きているが、精神的にはほとんど子どもだ。ルービックキューブに夢中になったり、バイトがあるから帰ろうとするオスカーを引き留めるのに札束を出す。こういうところから、エリの精神の幼さが見て取れる。

幼いまま生きてきたエリにとって、オスカーは初めての友人だったかもしれない。だから女の子でもないのにガールフレンドになったり、好きな服を着ていいと言われたときは、わざわざワンピースを着ている。初めて二人が出会ったとき、エリはわざわざ友達にはなれないと言う。これはエリが親しい存在を求めている裏返しだ。ルービックキューブを借りたとき、エリの血に対する飢えはかなり厳しい状況にあった。その場でオスカーを襲うこともできたのに、彼はそうしなかった。オスカルが血の誓いをしたときも必死に本能を堪えている。果たしてエリがオスカーに抱いたのが、友情だったのか愛情だったのか、それはわからない。けれども特別な繋がりを見つけたのだろう。

エリがオスカーを助けたシーンは本当に素晴らしい。プールの中からカメラは、水面を引きずられるコンニや水に落ちてくるインミの生首。エリがやってきたことを直接描かないことによって、このシーンは恐ろしく、水に引き上げられたオスカーがエリの顔を見て笑い、エリもオスカーに微笑み返す。惨劇の場で愛する者たちが互いの顔を見て微笑むというギャップが、本当に美しい。

エリを演じたリーナ・レアンデションはイラン系スウェーデン人、イラン人とスウェーデン人の血を引く。きちんと女性。エリが持つオリエンタルな雰囲気は、彼女のルーツに由来するのだろう。金髪の登場人物が多い中で、彼女の黒い髪はよく目立つ。なにより、黒髪というのは吸血鬼らしくさがあっていい。撮影当時はエリと同じ十二歳前後だが、彼女の顔立ちは大人びていて、二百年生きている吸血鬼にぴったりで、かつ垣間見える子どもらしさも、まさしくエリだ。ハリウッドリメイク版『モールス』では、クロエ・グレース・モレッツが同じ役どころのアビーを演じているが、クロエはどうしても可愛らし過ぎるうえに金髪で、どうも吸血鬼には合わない。オスカーと同じように、エリの配役も見事だろう。

ちなみに作中での彼女の声は、別の女優がアテレコしている。幼いリーナの声ではエリを演じるには高すぎたためだ。しかし、その声にまったく違和感を感じさせないところがすごい。

 

ダメ中年のホーカンとラッケ

忘れてはならないキャラクターがホーカンとラッケだ。美しいオスカーとエリの二人と比べると、どちらも冴えない中年男である。ホーカンはエリの協力者として、ラッケはエリたちの敵役として活躍する。

作中ではホーカンの描写が少なく、彼とエリの関係性がかなりにごされている。自らの命をかけてまでエリに尽くした彼は何者なのか?

ホーカンは小児性愛者で、しかも男児に性的興奮を覚える。原作では、国語教師だった彼はせの性癖が露見したために職を追われ、荒れた生活を送っていたころにエリに出会ったという設定だ。おそらくこの設定は映画でも踏襲されているだろう。彼は自身の性癖に苦しんでいるが、同時に完全に抑えられてはいない。歳をとらない、親しいものがいないエリは、彼にとってまさしくうってつけの存在であり、エリにとっても自分の隠れ蓑になる都合のいい大人だったわけだ。ホーカンはエリに奉仕する代わりに、彼から愛撫を受ける。エリに撫でられたときの彼の表情が、彼の性質を表している。エリと仲良くするオスカーのことも憎らしく思っていたのかもしれない。

原作ではホーカンには映画以上の役割が与えられている。ぶっちゃけすごく気持ち悪いのだが、とても可哀そうな存在になっている。

地元の中年男ラッケに関しても、原作では第三の主人公といったポジションを与えられている。とくにヴィルギニアとの恋愛模様は、オスカーとエリのそれよりも深く描かれている。アルコール中毒なうえに無職でぶらぶらしているラッケだが、物語が進むにつれて彼にも愛着が湧いてくる。

親友を失ったあとに恋人を失う。ダメ人間であることには間違いないが、ある意味では本作で一番かわいそうなのはラッケかもしれない。

 

 

まとめ

陰鬱とした雰囲気でありながらも、シーンのひとつひとつが美しい映画。ラブロマンスとしてもストーリーが素晴らしく、個人的には邦題と日本版の修正意外に文句のつけようがない。本作に魅了された人は、原作も気に入ると思うので読んでほしい。