自分という病

主に映画の感想 たまに変なことも書きます。あらすじは長いです。

映画感想 ヒドゥン

『ヒドゥン』(原題:The Hidden)

1987年 96分 アメリ

評価 7点/10点満点中

 

 

人類が地球外の知的生命体と接触できるのはいつになるだろうか。あまりにも宇宙が空間的に広く、人類の種の寿命は時間的に短いので、ファースト・コンタクトは起こらないだろうという説もある。

しかし考えてみれば、恒星間を飛行して地球に来訪できるレベルの文明であれば、人類に存在を感知されずに人類社会に紛れることも可能ではないだろうか。もしかすると、あなたの隣人が宇宙人かもしれないし、あなたが宇宙人かもしれない。こういうのは愉快なSFであり陰謀論だ。

本作『ヒドゥン』は、人間に寄生するエイリアンとそれを追う刑事とFBIを描いたSFアクション。ある男が凶悪犯罪を起こす。刑事のベックは男を捕まえるが、男は瀕死の重傷を負う。事件は終わったと思ったベックのもとに、FBI捜査官を名乗るロイドが現れる。平たく言えば『メン・イン・ブラック』である。

車やセットを壊しまくる泥臭いが派手なアクションが面白い。冒頭からカーチェイスで飛ばしまくりだ。謎のFBI捜査官ロイドのキャラも良い。ただ、ストーリーに関しては凡庸。それでも全体的には最後まで惹きつける魅力がある。ラストに関しては、、、謎が残るだろう。

 

 

 

 

あらすじ(ネタバレなし)

ロサンゼルスのある銀行で、ひとりの男が銃を手に銀行を襲う。男は警備員を何人も撃ち殺すと、奪った金とともに車で逃亡、警察とのカーチェイスを始める。ロス市警のベックはパトカーでバリケードを作り、怯むことなく突っ込んできた男の車に銃弾を浴びせる。パトカーにぶつかった車はとまり、男が車からゆっくりと出てくる。警官たちは車に銃撃を浴びせ、車は爆発。男は半死半生の状態で病院に運ばれる。医師によると、男は今夜を越せないとのこと。同じ頃、FBIのロイドは、強盗犯となった男の足取りを追って、男の隣人を訪ねている。男の名前はジャック・デフリースで、紳士的な人物だがここ最近は見かけないと言う。そのとき、ジャックが現れたという情報がはいり、ロイドはロス市警へと向かう。

警察署に戻ったベックに、上司の警部補がロイドを紹介し、彼をパートナーとして捜査にあたるように命令する。ロイドがジャックの写真を見せると、その事件は終わっているとベックは言う。

ベッドに寝ているジャックの口から虫のような生き物が這い出し、となりのベッドに寝ていたミラーという男の口に入る。異常に気が付いた医師がやってきて、ジャックの死亡の確認とミラーの心肺蘇生を試みる。電気ショックによりミラーの心拍は異常なまでに動き出し、目を覚ましたミラーはどこかへ去る。

ロイドの車で病院へ向かうことになったベック。ロイドのポルシェを見て、ベックは盗んできたのかと冗談を飛ばす。ロイドはそうだ、と答える。ロイドにジャックの状態を話すと、ロイドは車の速度をあげる。二人が病院に着いたときには、すでにミラーは消えている。

レコード店にやってきたミラーは店員を殺して大量のカセットテープを奪う。

人に乗り移り凶行を繰り返す謎の生き物。それを追う謎のFBI捜査官ロイド。ベックは不可解な事件に戸惑いながらも、警察官として事件に挑む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

感想(ネタバレあり)

エイリアンは高級車がお好き

初っ端から派手なカーチェイスを始める本作。エイリアンは人間に乗り移っては高級車を盗む。最初に登場した車はフェラーリで、ミラーの姿になってから盗んだのもフェラーリだった。同じくエイリアンであるロイドもポルシェに乗っていたので、どうやら彼らの性分らしい。エイリアンの星でも高級車がステータスだったのだろうか。それとも高級UFO? 面白い設定なのだが、これといった理由が説明されないのは残念。適当でも、スピードを出せるのがいいとか、運転が楽しいとか、それなりの言及があってもよかったと思う。ともかく最後まで、エイリアンが車好きな理由が謎でもやもやとしてしまう。メタ的な理由は、カーチェイスに高級車を出したかったからだろう。

車の好みだけでなく、エイリアンは謎が多い。彼らがどこからやってきたかはもちろんのこと、どれくらいの文明をもっているのかもわからない。すくなくとも、地球にやってこられる航行能力はあるのだろう。

やはり、ロイドの中身もエイリアンと同じく気持ち悪い虫なのだろうか。たぶんそうなのだろう。ラストではキラキラしたものにぼかされていたが、あそこでロイドの口から虫がでてきてベックの中に入ったらそれこそホラーだ。

エイリアンはロックが好きだったようだが、ロイドはとくにそういった描写は見られなかった。ロックが好きなのはエイリアン個人の好みだろう。そうすると、ますます車好きな理由がわからない。制作という神の都合でしかないのだろうか。

アクションは個人的には好きなのだが、最初のカーチェイスが一番派手だったのは残念だ。とくに終盤はアクション面はしぼんでいく。最終決戦はもっとド派手にやってもよかっただろう。

エイリアンにとりつかれた人間が銃弾を受けても倒れずに人々に迫るところは、のちの『ターミネーター2』におけるT-1000の描写に影響を与えているかもしれない。『メン・イン・ブラック』が本作の影響を受けているのは、ほとんど確実だと思う。『メン・イン・ブラック』でJが使う小さな銃は、ロイドのレーザー銃を彷彿とさせる。

 

口移しエイリアン

本作のストーリーには特筆すべきところがない。ロイドが宇宙人だということも、わりと早い段階で気が付くだろう。作品自体が次の展開が予想しやすいように作られているようにも思う。とくに難しく考える必要のない娯楽映画としてわりきっているのか、脚本や演出の力不足かは不明だ。宇宙人の設定と同じく、制作側に深く作り上げる気はなかったのかもしれない。

気になるのはラストだろう。瀕死のベックを助けるために、ロイドは口からピンク色のキラキラしたもの(おそらく吐しゃ物ではない)を出してベックに注ぐ。おっさんの口にピンクのオーラが注がれる絵はなかなかシュールだ。

問題はそのあと。ベックの家族や医師たちが病室にはいってくると、そこには倒れたロイドの姿がある。ベックは目を覚まして妻を抱きしめると、娘にもおいでと手招きをする。しかし娘は戸惑ったように硬直し、何度も促されてようやく父のそばへと行く。自分はロイドが与えたのは生命力的なサムシングだと思っていたのだが、この娘の反応を見るに、ロイドの中身がベックに入り込んだのではないのかと思う。娘はロイドが家に来たとき、彼の中身を見透かしたかのように見つめていた。あのピンク色はエイリアンを綺麗に描写した結果なのだろう。

よくわからないのが、どうして最後の最後で『スキャナーズ』みたいなことをしたのかだ。これに関してはモヤモヤが残るし、本物のベックが死んでしまったとなればカタルシスも感じられない。盛りそば食べてたら最後の一本がスパゲティだったみたいな肩透かしを食らう。素直にベックが生き返ったでよかっただろう。この最後については、かえって楽しめるという人もいるだろう。

 

まとめ

メン・イン・ブラック』にも影響を与えているだろう本作。ストーリーや設定に瑕瑾は見られるものの、アクション映画としては十分に面白いといえる。見ても損はない。

 

映画感想 プロムナイト

『プロムナイト』

  (原題:PROM NIGHT)

1980年 90分 カナダ

評価 4点/10点満点中

 

 

アメリカやカナダの学校には、学年の最後に開かれるプロムナードというパーティーがある。生徒たちは正装をして、男子生徒は女子生徒をひとり誘ってダンスを踊る。さらには生徒の投票によってキングとクイーンが選ばれる。ほとんどの場合、キングとクイーンは、スクールカーストのトップに位置するジョックやクイーンビーと呼ばれる生徒たちが選ばれる。当然、陰の者たちにとっては辛いイベントになる。つくづく日本にはなくてよかったなと思う。

華やかなプロムだが、ジョックたちが悲惨な目に遭うホラー映画においては惨劇に舞台になる。スティーブン・キングの『キャリー』では、主人公のキャリーがいじめでクイーンに選ばれて豚の血を浴びせられために、プッツンして生徒たちを虐殺する。

本作は、幼い頃に遊びで友達を殺してしまった高校生たちが、プロムの日に次々と殺されるスプラッターホラー。主演を務めるのは、『ハロウィン』でブギーマンの妹であるローリーを演じるジェイミー・リー・カーティス。最近の『ハロウィン』ではサラ・コナーのようになっていた。

恐怖を煽られる場面が少なかったこと(というか肝心の殺人鬼の登場が遅い)、犯人の正体が悪い意味で裏切りなどの映画の骨子が微妙なのがマイナス。ただ、昔のプロムの雰囲気は感じることができる。

 

 

 

 

あらすじ(ネタバレなし)

ある廃校で、四人の子どもたちが鬼ごっこをしている。ウェンディ、ニック、ジュードにケリー。近くを通りかかったキム、ロビン、アレックスの三姉弟は、窓のへりを歩くニックを見つける。キムとアレックスはその場を離れるが、ロビンは廃校に入り混ざろうとする。するとウェンディたちは、混ざってきたロビンを四人で追いかける。殺人鬼が来たぞ、と繰り返す四人に窓際まで追いつめられたロビンは窓から転落してしまう。彼女が死んだことを悟った四人は、ウェンディの主導のもと自分たちの行いを隠すことを誓う。見つかったロビンの死体は、変質者による犯行として処理される。

ロビンの死から六年後、キムとアレックスは父が校長を務めるハミルトン高校に通っている。学校はプロムで盛り上がっており、ダンス部とテニス部でリーダーを務めるキムは、プロムのクイーンに選ばれる。

ロビンを死なせてしまった四人も同じ高校に通っており、プロムの日、四人のもとには脅迫の電話がかかってくる。ニックだけは、電話を無視してしまう。

六年前にロビンの件を担当した警部のもとへ、ロビン殺しで捕まっていた男が精神病院から逃げ出したうえ、看護師を連れ去り殺したと連絡が入る。彼は当時の担当医を呼び出し協力を仰ぐ。担当医はパニックを避けるために公表しないべきだと言う。警部はそれに従い、パトロールを強化する。

プロムの日の朝、ジュードは登校中にセイモアという男にナンパされ、彼の面白さに惹かれる。ケリーは付き合っているドルーに対して、プロムの日に自分の初めてを捧げるべきかを悩む。ウェンディと交際していたニックだが、キムに好意を抱いていた彼は、ウェンディを振りキムに思いを伝える。ウェンディはキムに対して怒りを燃やす。

昼食時、問題児のルウにかしつこく迫られていたキムをアレックスが助け、二人は喧嘩に発展する。何度も問題を起こしていたルウは停学処分となる一方、校長は息子の側に立ちアレックスはお咎めなしとなる。怒るルウにウェンディが近づき、二人でプロムをメチャクチャにしてやろうと持ち掛ける。

プロムのキングに選ばれたニックは、両想いになったいまでも、キムにロビンの死について打ち明けようとするができずに良心の呵責に悩む。

プロムが近づくなか、校内では奇妙な出来事が起きる。ウェンディのロッカーに切り取られた彼女の写真が貼ってあったり、更衣室の鏡が割れて破片が持ち去られていたりする。不安を感じるキムだが、クイーンとしてプロムを成功させることに集中する。

そしてプロムが始まり、さまざまな感情が渦巻く中、覆面の殺人鬼が動き出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

感想(ネタバレあり)

陰の者にはつらいよ

アメリカ特有の学校行事であるプロムナード。前述したように、このプロムで目立つことができるのは学校の人気者やその周辺にいる生徒たちだ。ある意味では、日本の成人式が近いものだろうか。現在では、このプロムに対するアンチ・プロムなるイベントもあるらしい。こういうイベントを開くのは、陰キャラとはいえアメリカ人だなと実感する。

閑話休題

本作では、古いとはいえプロムの雰囲気が良く出ている。ただのダンスパーティーかと思いきや、キングとクイーンはリハーサルを行っていたりと、まるで文化祭のようだ。あまり知ることのないプロムの裏側などが垣間見える。

一方で、重要なホラー要素に関しては物足りなさを感じる。そもそも殺人鬼が出てくるのに六十分かかる。それまではバレエ教室のいじめのようなネチネチした嫌がらせくらいしか行動がなく、どちらかといえば登場人物たちの人間関係の描写に多くが割かれている。kill数も五であり、大暴れしたとは言い難い。そのうえ戦闘力が低く簡単に逃げられるので緊張感もたいしてない。

スプラッター描写も少ないし、それほどきつくもない。ルウの撥ねられた首がプロムの舞台に転がる場面が目玉なのだろうが、生首の出来も特別高くないうえ、描写がギャグよりだ。

総じてホラーとしての得点は高くない。派手なシーンもゾッとするようなシーン、はたまた緊迫のシーンもほとんどない。

 

じっちゃんの名にかけて

最後まで伏せられた殺人鬼の正体は、キムの弟でありロビンの双子の兄弟であるアレックスであった。このことに関して大きな不満がある。

殺人鬼の正体を考えるのも、こういった映画の醍醐味だろう。本作でも容疑者は何名かいた。まずはアレックス。ロビンの弟であり、ウェンディを狙う動機はばっちりだ。そのうえ、普段は大人しい彼だが、姉のキムがルウにからまれていたときには躊躇なく彼を殴り飛ばした。秘めたる暴力性が見える。

つぎにキムの父親である校長。動機はアレックスと同じくであり、彼はプロムのあいだ姿を消していた。なるほど、ものすごく怪しい。

お次はキムの母親。娘の死で一番気を病んでおり、命日が近づくと精神的に不安定になるらしい。そんな彼女がキムの死の真相を知れば、ウェンディたちを手にかけることは想像に難くない。

最後はロビン殺しで捕まった男。精神を病んでいた男は病院から脱出して、人質にとった看護師を殺害している。彼がどうやって事件の真相を知るかは謎だが、もし知ることができれば復讐にやってくるだろう。

以上の四人が容疑者なのだが、この謎解きからは制作陣の視聴者に対する不誠実さを感じられる。推理要素がまったくないからだ。

まず校長。彼は犯人ではなかったが、プロムのあいだ姿を見せなかった理由は説明されない。ブラフになんの理由も説明もなければ、騙すというより誤認だろう。脱走犯も終盤になり唐突に捕まったという情報がはいる。彼が逃げ出したのはまったく本編とは関係ない理由で、まったく本編とは関係のないところで捕まる。校長と脱走犯は、ただ視聴者を混乱させるためだけに行動させられている。とくに、脱走犯と刑事のくだりはまったく必要がない。

覆面の下がアレックスだったことにも納得がいかない。彼はプロムのあいだテープ係というDJ役なのだ。つまりずっと会場にいて然るべきなのだが、なんの説明も描写もなしに彼は仕事を放棄して、校内をうろつきまわり人を殺している。たしかに、意図的にDJブースにいる彼が映らない画角だったが、それにしても不誠実すぎる。そのうえ、実は幼い彼がロビンが死んだ瞬間を見ていたことも、最後にねじ込まれるように本人の口から語られる。これに関してもヒントのようなものは存在しない。強いて言うなら、彼がロビンの墓に向かって思いつめたような顔をしていたことくらいだろうか。

犯人捜しにはヒントがなく、そもそも推理ができないのだから、正体がアレックスであることに驚きがない。作りが甘いいうよりは、不誠実だと思う。

 

 

まとめ

日本人にはなかなか馴染みのないプロムを舞台にしたホラー映画。個人的にはあまり評価できない。ずっと後の作品だが、『スクリーム』を見習ってほしい。ちなみにリメイクもあるらしいよ。

映画感想 フラッド

『フラッド』(原題:Hard Rain)

1998年 97分 アメリ

評価 8.5点/10点満点中

 

 

梅雨が去ってから猛暑が続いている。ここ数年は、梅雨には大雨による災害が発生し、真夏には熱中症が猛威を振るっている。自分が小さい頃はここまでではなかった気がするが、これも温暖化とか気候変動の影響だろうか。一昨年の九州豪雨と昨年の西日本豪雨は非常に大きな被害をもたらし、行政やテレビは積極的に避難を呼びかけるようになった。

本作『フラッド』は、洪水に見舞われた町で繰り広げられる警備員の主人公と彼を襲う強盗団、そして警察の戦いを描いた作品である。ディザスター映画というよりは、災害を舞台としたクライムアクション映画。小さな町のセット作り水に沈めたという派手な予算の使い方で、見事に洪水に見舞われた町を再現している。水場ならではのアクションやダレることなく視聴者を飽きさせない展開。個人的にはかなり面白い作品。見る機会があるのなら、ぜひとも見て欲しい。

 

 

 

  

あらすじ(ネタバレなし)

大雨に見舞われているインディアナ州のハーディングバーグ。警察官のマイクは、保安官選挙に落選したことを市長にからかわれたり、かたくなに避難しないヘンリーとドリーンの夫妻などに手を焼きながらも、二人の部下とともに仕事を続ける。ダムでは職員がマイクと連絡をとりながら、段階的に放水をして決壊を防いでいる。

警備員のトムは、相棒のチャーリーとともに、大雨のなか車で現金の輸送をしている。チャーリーのミスで車が水路にはまってしまう。本部からは救出まで二時間かかると言われた二人が避難しようとしたとき、一台の車が彼らに近づく。車に乗っていたのは、ジムという男が率いる強盗団で、ジムは穏便にことを済ますため、救助を装ってトムたちに声をかける。しかし、ジムたちに違和感を覚えたトムは拳銃を抜こうとする。それを見た強盗団のひとりが発砲し、彼らは予期せぬ銃撃戦を始める。トムが撃たれたチャーリーを抱えて輸送車の後ろに隠れると、ジムは仲間たちを制止して輸送車に迫る。金を置いていけば見逃すというジムの言葉に返事はなく、彼は輸送車の後ろに回る。そこにはチャーリーの死体だけがあり、現金はトムが持ち去ったことに彼は気づく。

トムは墓地に逃げ込み、そこの墓のひとつに現金を隠す。ジムたちはボートとジェットスキーを盗み出し、トムたちを追う。彼らに見つかったトムは学校へと逃げ込む。追いかけて来たジェットスキーを奪ったトムは学校を脱出して教会に逃げ込む。教会ではステンドグラスの修復作業が行われており、ステンドグラスを見ていたトムは何者かに殴られて気絶する。

トムは目を覚ますと、自分が警察署内の牢屋にはいっていることに気が付く。カレンという女性が、マイクたちにトムは泥棒だと主張する。彼女がステンドグラスの修復にあたっていたところ、彼が教会に侵入してきたので、殴って気絶させ、警察署まで運んできたのだと言う。自分は警備員で強盗団に襲われたのだとトムは主張し、輸送車で運んでいた現金300万ドルはポートマンという男の墓に隠したことも明かす。部下のひとりにカレンを避難所まで送るよう命令したあと、マイクはトムの話を確かめるためにもうひとりの部下とともに現金輸送車へと向かう。トムは牢屋に取り残される。

水に浸かった町で、300万ドルをめぐる戦いが始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

感想(ネタバレあり)

時間の相対性は映画で感じろ

本作最大の魅力は、なんといってもダレることのない展開だろう本編は百分弱だが、体感的にはもっと早く感じられた。不思議なことに映画の内容によって鑑賞時間は相対的に変化する。例えば『アベンジャーズ/エンドゲーム』は三時間あるが、終わればあっという間に感じてしまう。一方で以前紹介した『ネイビーシールズVSエイリアン』は90分弱と『エンドゲーム』の半分以下だが、エンディングが始まったときに、やっと終わったという安堵すら感じるほど長かった。時間の遅れを感じたいなら、光速に近づくよりもクソ映画を見るほうがお手軽だ。

物語はまず道路が水没しているところから始まる。いわゆるディザスタームービーと異なるのがここだ。多くのディザスタームービーはまず平凡な日常を映す。しかし本作は初めから非日常を描くことで、物語が進むまでの尺を省いている。そして十分でほとんどのキャラクターを登場させて、二十分で三百万ドルをめぐる戦いを始める。舞台は学校から警察署、街中からヘンリー宅や墓地へと目まぐるしく移る。この舞台の多さを可能にしているのが、飛行機の格納庫に作られた六百万ドルのセットだ。

本編で登場人物たちが求め争う三百万ドルの二倍の予算がかかったセットは、CGで背景を作ってしまう昨今の映画にない臨場感がる。とくに教会での攻防は、目の前で繰り広げられているショーのようですらある。本作の予算は七千万ドルで、同年公開の映画では『プライベート・ライアン』がほぼ同じ金額。ちなみに同じく1998年の超大作映画『アルマゲドン』は千四百万ドルと、倍の予算がかかっている。

展開面で一番面白いのは、マイクの豹変だろう。善玉だと思っていたマイクが敵役となり、それまで争っていたトムとジムが思いがけない共同戦線を張ることになる。ジムがトムを墓地へと追いつめた時点であと三十分以上残っていたので心配になったが、むしろ本編はここからだと言ってもいいだろう。敵を強盗団と警察の二段構えにして、物語に起伏を作っている。

マイクの豹変には、あまりにも突然だと感じる人もいるかもしれない。それゆえに驚きがあるのだが、この展開を踏まえて最初からマイクを観察すると、彼の豹変もさもありなんと思うだろう。

 

仏の光より金の光

オープニングで、マイクは保安官選挙に落ちていることがわかる。そのことについて市長から嫌味を言われ、ヘンリーとドリーンからは悪態をつかれ、彼らに対する陰口を叩く。オープニングの描写から、彼は自分の現状を不満に思っており、けっして善良なだけの警察官ではないとわかる。いわばマイクは普通の人間だ。自分に積み重なるストレスに苦しめられ、そんなときに大金が手に入るチャンスがあれば善悪の振り子が簡単に揺れてしまう。そのうえ町は水に沈んでいて、自分は警察官という立場。悪に傾くには十分すぎる条件だろう。映画の悪玉というと根っからの悪人が目立つが、彼のような人間味のある悪人は、展開の意外性や豹変したときの恐ろしさを生み出すことができる。小物っぽいところを含めて、マイクのキャラは好きだ。

強盗団のリーダーであるジムは、モーガン・フリーマンが演じているというだけで好きになってしまう。主人公のトムと共闘するとはいえ、彼はけっして善人ではない。トムとの共闘も打算が大きい。モーガン・フリーマンの貫禄か、後半は彼がヒーローのように見えてくる。しかし最後にはちゃっかり金をせしめて逃げるところで、彼はやっぱり悪党なんだなと思わせてくれる。作中のトムのように、やられたなという顔をしてしまうだろう。

ほかのキャラクターたちについては、良くも悪くも脚本を進めるための個性だろう。映画を楽しむ分には、つまらないと気になるほどではない。ただ、若い警察官のフィルについては気になる点がある。彼はカレンのことを思いジムの行動に反発するのに、そのあとの場面では、ジムを乗せたボートの運転を黙々とこなしていたり、かと思えばジムに反発してトムを助ける。彼だけは行動に大きなブレがある。

 

 

まとめ

まさしく急流のように進む展開に、あっという間に見終わってしまう良質なアクション映画。心に残る類のものではないが、ポップコーンムービーとしては一級品だろう。

映画感想 ジョン・カーペンターの要塞警察

ジョン・カーペンター要塞警察

  (原題:Assault on Percinct 13)

1976年 90分 アメリ

評価 5.5点/10点満点中

 

 

『ハロウィン』や『遊星からの物体X』を世に送り出したジョン・カーペンター。ホラーやSFのイメージが強いカーペンターだが、本作『ジョン・カーペンター要塞警察』のようなアクション映画も作っている。十万ドルという少ない予算ながら一定の評価を得た本作を経て、カーペンターは『ハロウィン』を制作する。

警察署を包囲したギャングを、主人公の警察官が護送中の犯罪者とともに撃退する、というあらすじは、以前紹介した同監督の『ゴースト・オブ・マーズ』と似通っている。タイトルから想像されるほど、派手なドンパチシーンは多くない。キャラクターに関しても気になる点があるのだが、それでもだれることなく観れてしまうのはカーペンターの技だろうか。

派手なアクションは見られないが、昨今では見られない渋い映画。カーペンター史のひとつとしても、気になる人は見てはどうだろう。

 

 

 

 

あらすじ(ネタバレなし)

カルフォルニア州のアンダーソンで、警察隊によってギャングの少年たちが銃撃され、六人の少年が命を落とす。事件を知ったギャングの生き残りたちは、自らの血をガラスの瓶に注ぐ血の儀式で、復讐を誓い銃を手に取る。

警部補に昇進したばかりのイーサン・ビショップは、初仕事として、引っ越しを進めているアンダーソン署の一日責任者を命じられる。署でイーサンを出迎えたのは、警察官がひとりに、リーとジュリーという女性事務員。イーサンは押し付けられた仕事を不満に思いながらも、引っ越しの準備を手伝う。

警察官のストーカーは三名の囚人の護送を始める。囚人のひとり、ナポレオン・ウィルソンは凶悪犯として、手錠のほかに鎖にまでつながれている。ひと悶着ありながらも、順調に護送バスは進んでいたが、囚人のひとりの体調不良のために、ストーカーは最寄りのアンダーソン署に立ち寄ることにする。

街で無差別な襲撃を続けていたギャングたちは、移動販売のアイスクリーム屋を撃ち、その場にいた少女も撃ち逃亡する。少し離れて電話をしていた少女の父親は倒れている娘に気が付き、駆け寄るが彼女にすでに息がないことを確認する。近くに倒れていたアイスクリーム屋は、運転席に銃があることを知らせると息絶える。父親は銃を手に取ると、車でギャングを追跡する。銃撃戦でギャングのひとりを射殺した父親だったが、残りのメンバーに追いかけられて這う這うの体で逃げ出す。ギャングは彼を追跡する。

アンダーソン署に着いたストーカーをイーサンが迎える。囚人たちを独房に入れて、ストーカーは警察医に連絡をとるが、時間がかかると言われ苛立つ。彼が電話をしているときに父親が駆け込んでくる。イーサンたちは話を聞こうとするが、彼はショックで放心状態にあり、イーサンは彼を寝かせる。

医者を待つことに限界が来たストーカーは、囚人の護送を再開することを決める。彼が独房に向かうと、署内の電気が落ちる。署に残っていた警察官のひとりが外にでたところ、彼はギャングに撃たれて死ぬ。同じころ、バスに乗ろうとしたストーカーたちをギャングが襲い、ストーカーや護送の警察官、体調不良の囚人が死ぬ。なんとかナポレオンともうひとりの囚人を助けたイーサンは、彼らを独房に戻す。

徐々に集まり始めるギャングは、ついには署を包囲する。外との連絡手段がなく、周囲に民家も少ないアンダーソン署は陸の孤島になる。イーサンはふたりの囚人を解放し、共同戦線を張ることを決める。

 

 

 

 

 

 

 

感想(ネタバレあり)

大統領の娘にしちゃあオッパイがでかいな

導入に書いた通り、本作には派手なアクションはほとんどない。一番の見物である、警察署に侵入しようとするギャングたちを撃退するシーンですら、窓からゾンビのようにのろのろと入ろうとするギャングたちを、イーサンたちが一方的に撃つだけだ。その様子は、ゲーム『バイオハザード4』を思い出す。小屋を囲んだガナード(ゾンビのようなもの)をNPCとともに撃退するチャプターだ。上記の大統領云々は、そのNPCがヒロインに対して言った名台詞。本作に特別胸の大きな女性はでない。

次に派手なのは、最後の爆発だろうか。といっても、閃光くらいしか確認できないが。銃弾が尽きたイーサンたちは地下へと退避し、署内に置いてあった爆薬でギャングの一掃、さらにくっつけた照明弾を使い救援を呼ぶことにする。どうして署内に爆薬があるのかは謎だ。まあ、カルフォルニアの警察には爆薬くらいあるだろう。カルフォルニアだし。

そのほかには特筆すべきアクションシーンといえば、護送直前のナポレオンが、自分を理不尽に扱っていた警察官を、自身を縛っていた鎖を使い転倒させたシーンくらいか。鎖を相手の体に絡ませて足をすくうアクションは、不気味なナポレオンの雰囲気も相まって、彼の底知れなさを感じさせた。わりとすぐに底を感じることになるが、それは後述。

予算をふんだんに使った大作映画のアクションと比べると、どうしても見劣りしてしまうが、そこがかえって銃撃戦の生々しさがある。また、本作のギャングたちには個人の名前がなく、無表情でサイレンサーを付けた銃を構えて警察署に詰める様子は、殺人マシーンの群れのようで恐ろしい。電気を落として署を孤立無援の状態に置いたり、車での逃走を警戒してあらかじめ後部座席に忍んでいるところは、殺す気をビンビンに感じることができる。

派手なシーンは少なくとも、創意工夫で魅せるアクションを作り上げている。やはりカーペンターらしいのか、ホラー寄りのアクションだなと感じた。

 

下町のナポレオン

は、いいちこのことだ。この場合のナポレオンとは高級ブランデーのナポレオンのことで、下町のように親しみやすいけどナポレオンのように美味しいという意味だろうか。本作のもうひとりの主人公、ナポレオンの名前はどうも通り名とかあだ名の類らしい。由来はあとで教えてやると、ナポレオンはたびたび言う。ラストの地下へと退避して、ギャングたちを爆弾で一掃する直前でも、イーサンに由来を尋ねられて、あとでと答えている。

結局、最後までわからなかったよ。

教えろよ。どうしてナポレオンなんだよ。

このナポレオンというキャラクターには謎が多い。凶悪犯で鎖に繋がれていたのだが、ギャングの襲撃の際には積極的にイーサンに協力しているし、リーに対しても非常に紳士的に接している。最後にはイーサンとの間に友情が生まれるし、リーとのロマンスを感じさせるカットもある。どういった犯罪を犯したのかも謎だし、名前といい、よくわからんキャラである。

それに比べると、リーは非常にキャラがたっている。登場時から、彼女に肝がすわっていることはわかるのだが、展開が進むにつれて女傑のごときかっこよさを見せる。迫りくるギャングを銃で撃退しながらナポレオンを解放し、片手を負傷しながらも、最後まで銃を握り続ける。片手でマッチに火を点けるところなど、イーサンやナポレオンとは比にならないかっこよさがある。据わった目でギャングを撃つ彼女は、ギャングの女ボスのようだ。

主人公のイーサンはそれほど個性的ではないテンプレ警官主人公キャラだ。強いて言うなら、黒人というところと、自らまさしくブラックジョークを言うところがキャラの肉付けだろうか。それも一回きりだが。

 

 

まとめ

四十年以上の前の作品で、華々しさこそないものの、カーペンターらしさが見られる。ナポレオンのキャラが定まっていないこと、敵に不気味さがあるいっぽうで、アクションではカカシ同然だったことが残念。

映画感想 マニアック

『マニアック』(原題:MANIAC)

1980年 88分 アメリ

評価 4.5点/10点満点中

 

 

ある分野に精通している人のことを~マニアと言うが、maniaという単語には「狂人」という意味もある。また、古くは精神病質者という意味でつかわれていたらしい。

本作の主人公も、タイトル通り狂人であり精神病質者である。ジョー・スピネル演じる中年男フランクは、あることに執着して次々と殺人事件を起こす。ジョー・スピネルは『ゴッドファーザー』シリーズにも出演した名脇役で、本作は彼が原案・脚本を担当しているセルフプロデュース作品だ。当時はスプラッターブームも手伝ってか、結構な成功をおさめた。また特殊メイクには、ロメロの『ゾンビ』や『13日の金曜日』も担当したトム・サヴィーニが参加している。2012年にはイライジャ・ウッド主演でリメイクもされている。根強い人気があるのだろう。

出来としてはまさしくマニアックというほかない。ゾッとするシーンやドギツイ描写もあり、主人公のキャラクターも相まって恐ろしい映画だとは思うが、カットのひとつひとつが長く展開も遅いので、個人的には退屈に感じてしまった。古いスプラッターが好きな人は、経験とか知識として鑑賞してもいいだろう。マニアックさもあるので、人に勧められる作品ではない。

 

 

 

 

 

 

あらすじ(ネタバレなし)

砂浜でくつろぐカップル。彼氏は焚き木を取りに行くために彼女のもとを離れる。ひとりで残る彼女に黒い影が近づく。影は彼女の首を剃刀で切り裂く。戻ってきた彼氏も、影によって縊り殺される。

フランクは顔中に汗を浮かせて目を覚ます。彼はパジャマを脱いで、自分の体に残った傷跡を見る。ベッドには血に濡れたマネキンが横たわり、棚には女性の写真と子どもの人形が飾ってある。フランクはマネキンに語りかけると、夜の繁華街へと繰り出す。

フランクは娼婦を買うと、ホテルで彼女を殺す。フランクは娼婦の頭皮を髪ごと切り取る。家に戻ったフランクは、新しいマネキンに娼婦の頭皮を被せて彼女の服を着せ、マネキンに語りかける。

別の日、フランクは銃でカップルを殺すと、また同じように頭皮と服をマネキンにつける。こうした凶行を繰り返すフランク。ある日、彼は公園でカメラを構える女を見る。女のカバンについていたタグから、アンナという彼女の名前と住所を知る。そして、彼女と出会ったことから、彼の運命は変わっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

感想(ネタバレあり)

変態男一代記

マネキンに頭皮をつけたり、女に仕立て上げたマネキンが動き出すところは恐ろしい。ただ、先に述べた通り、カットのひとつひとつがやたらと長く展開が遅い。そもそも、アンナが登場するのが全体の半分近くが進んでからだ。それまでは偏執的なフランクの日常(殺人風景)が描かれる。それもパッパと進めばいいのだが、やっぱりダラダラ進んでいるという印象がぬぐえない。

ジョー・スピネルの汚いスネイプ先生みたいな見た目と、絶妙に気持ち悪い演技は素晴らしいが、やっぱり展開が遅々としていて辛い。前半のカットの長さは尺の引き延ばしを感じさせ、まるでアニメのドラゴンボールのようだ。

前半は変態の日常、後半は素直なスプラッター物の展開なので、ここに書くこともなく困っている。死んだと思われていたフランクが目を開くラストも、スプラッターのお約束であり、それほど衝撃のラストではない。

悪い点ばかりを書いているようだが、やっぱりジョー・スピネルの醸し出す雰囲気や、特殊メイクは良い。千切れるフランクの動く首は『遊星からの物体X』を思わせる。また、車のカップルを襲うシーンでショットガンをぶっ放すシーンは強烈だ。

書くことがもうない。

 

 

まとめ

強烈なキャラクターや演出に比べて、ストーリーの遅さが気になる作品。尺が半分くらいだったらもっと面白かったのかもしれない。

 

映画感想 禁断の惑星エグザビア

『禁断の惑星エグゼビア』

  (原題:Forbidden World)

1982年 77分 アメリ

評価 7点/10点満点中

 

 

B級である。原題も邦題も有名なSF映画『禁断の惑星』(原題:Forbidden Planet)のパロディだ。プロデューサーは、B級映画の皇帝ことロジャー・コーマン。コーマンは前年にも『ギャラクシー・オブ・テラー/恐怖の惑星』という似た路線の作品をプロデュースしており、そちらにはのちに『エルム街の悪夢』でフレディを演じるロバート・イングランドや、『ターミネーター』シリーズや『エイリアン2』、『タイタニック』に『アバター』という大ヒット作を監督したジェームズ・キャメロンが参加している。ちなみに、内容としては『ギャラクシー・オブ・テラー』のほうが『禁断の惑星』に似通っている。

本作の内容は、『エイリアン』よろしくなSFモンスターパニック。とある惑星で行われていた実験により生まれた生物を、トラブルシューターの主人公が相棒のロボット(可愛い)や、実験施設の面々とともに戦うという桃太郎よりわかりやすいストーリー。エロありグロありで真っ当なB級映画だ。尺も77分という素晴らしい長さで、コーマンプロデュースの名に恥じない出来だ。家族団らんで見られる作品ではないが、一人でこそこそ楽しむには良い作品だろう。ポスターも実に良い味をだしている。

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英語版Wikipediaより

ポスターに映っている怪物は出ません。

 

 

 

 

あらすじ(ネタバレなし)

トラブルシューターのマイクは、相棒のロボットであるサムにコールドスリープから起こされるやいなや、宇宙強盗団の襲撃を受ける。核融合砲を使って強盗団を殲滅したマイクは、サムから次の任務のことを聞かされる。任務はエグゼビアという惑星の実験施設で起きた事故の後始末だという。本来なら地球に帰れるはずだったマイクは深く落胆する。

ワープでエグゼビアに着いたマイクたちは、実験施設で所長のゴードン、彼の助手で遺伝子工学者のバーバラに迎えられる。さっそく事故現場に向かったマイクは、引き裂かれた動物の死体が無数に散らばった惨状を目撃する。遅れて細菌学者のカルがやって来て、職員たちは「検体20」という実験体が逃げ出して動物たちを引き裂いたのだと説明する。現在、遺伝子を自ら変異させることができる「検体20」は、実験室内にある孵化装置の中で繭を作っている。マイクは「検体20」を破壊することを提案するが、貴重な実験体を失いたくないゴードンは反対する。所長は職員のジミーを呼ぶと、彼に現場の片づけを任せ、一行は食事をとることにする。

職員のトレーシーにブライアン、警備係のアールを加えて、食事をとりながらこれからの方針を話し合う。話の中でゴードンは、プロトBという細菌について説明する。プロトBは自分の死骸も含むあらゆる物質を栄養源とすることができ、異常な繁殖力を持つのだという。さらには、他の生体組織に打ち込むことで、急速に増殖する。研究の目的は、藻の仲間にプロトBを打ち込み大量増殖させることで、食糧問題を解決することにある。プロトBをある生き物に打ち込んだ結果生まれたのが「検体20」らしいが、マイクがなんの動物かを尋ねてもゴードンや職員たちは答えない。また、アニーという死んだ職員の名前がでてきたが、職員たちは彼女についても口を堅く噤む。

実験室の片づけをしていたジミーは、「検体20」が孵化し始めていることに気が付き、ゴードンたちに連絡する。ゴードンが孵化装置を閉めようとしたとき、飛び出したタールのような「検体20」が彼の顔に張りつく。ゴードンたちが駆け付けると、「検体20」はすでに逃げており、頭に穴の開いたジミーが床に倒れている。全員がジミーは死んだと思ったが、彼は大脳を失いながらも生きており、カルが彼を医務室へと運ぶ。男性陣は実験室内で「検体20」を探す。しかし、医務室に運ばれたジミーの腹から、「検体20」が這い出してどこかへ行く。

夜になると捜索は打ち切られ、警備係のアール以外はそれぞれ自室に戻る。マイクも部屋をあてがわれるが、バーバラに誘われて彼女の部屋に入る。ジミーの恋人であったトレーシーは、彼と写った写真を見て涙を流す。マイクはバーバラと体を重ねる。通気ダクトに異常をみとめたアールは、単身で様子を見に行き、ロッカールームで彼は襲われる。医務室では肉の塊に変貌したジミーが不気味にうごめく。

「検体20」、アニー、実験施設に隠された秘密とは? 果たしてマイクは突然変異を繰り返す「検体20」を打ち破ることができるのか?

 

 

 

 

 

 

 

感想(ネタバレあり)

ポンコツロボットのサムちゃん

ツッコミどころはあるし不満点もあるが、冒頭に書いたように、本作はB級映画としては十分な出来である。お手本のような作品といってもいいだろう。あきらかに展開には不必要なエロがあるところも、B級らしい。グロテスクな描写に関してはかなり力を入れており、本物の動物の死体も使われたらしい。時代が時代だからゆるかったのだろうが、今だと完全にご法度だろう。

キャラクターに個性があるのもいいだろう。冷酷そうな見た目とヒロインっぽさを醸し出しながらも、平和主義者でそれゆえに死ぬバーバラ。殺されキャラのようでありながら、毎回かみひとえで危機を脱する異能生存体のトレーシー。サイコな科学者のようでありながら、作中一番の良心をもつカル。無駄死にのブライアン。だが、なによりも忘れてはならないのは、ロボットのサムだ。

宇宙服を着た人間にしか見えないがロボットと言い張るサムは、はっきり言ってポンコツである。まず、宇宙強盗団に襲われて対処できないから主人のマイクを起こす。基地について早々、口やかましいからと電源を切られる。高度なロボットの電源が照明みたいにポチポチ押せるのはどうかと思う。いざ怪物を倒すときになり電源を入れられると、「人間はこんなときだけ私の電源をいれるのですね」と皮肉を言うくせに、自らが撃ったレーザーが反射して自爆し、ブライアンに背負われ運ばれる。なぜレーザーが岩肌に反射するのかは謎だ。

ここまでポンコツが極まると可愛く見えてくるものだ。そんなサムも、最終決戦では怪物にモルヒネを打ち込み動きを鈍らせることに成功する。そのあと真っ二つになったけど。全編を通して意外と登場回数の少ないサムだが、キャラはものすごく立っている。動きが滑らか過ぎてロボットっぽさがないところも愛しいところである。スーツアクターのやる気がなさすぎだろう。R2D2を見習え。

いっぽうで、所長のゴードンや警備係のアールは性格から行動、結末までテンプレである。主人公のマイクに関しても、八十年代ハードボイルド主人公のテンプレだ。わかりやすいと言えばわかりやすいが。ゴードンやアールのキャラクターは物語を進むにあたり仕方ないとも思える。そのぶん、サムが輝いているので気にならない。

 

麻酔なし肝臓を取り出したら人は死ぬ

「検体20」はプロトBを使い人間を分裂を繰り返す単純たんぱく質に変えて、無限に増え続ける食糧にするという設定はよかった。食糧問題を解決するために生み出した実験体によって、減らない食料に変えるというのはなんとも皮肉である。

変異を繰り返すというわりには、「検体20」の見た目があまり変わらないのは残念。作中で見ることができたのは、タールのような形態とエイリアンの頭に触手がついたような形態の二つ。ポスターでは虫のような姿だが、これを見られることはない。というよりも、そもそも「検体20」の姿がはっきりと映ることはほとんどないのだが。

高速で増殖して変異し、他の生物を取り込む「検体20」を倒すために、カルは自分の癌に侵された肝臓を食わせることを思いつく。麻酔無しで素人のマイクによる開腹を望むカルの自己犠牲精神には涙がでるところだが、作中最大の笑いどころになっている。

カルのレバーを引きちぎったマイクが一言。

「やったぞ カル。取り出した」

マイクはカルの顔を見る。しかしカルは息を引き取っている。死んだカルを見て、マイクは目を張る。

麻酔なしで肝臓を取り出したら人は死ぬ。

麻酔があっても肝臓を取り出したら人は死ぬ。

なぜマイクは驚いたような表情をとっているのだろうか。腹に手をつっこんで肝臓を引きちぎれば人が死ぬのは必定である。

カルのレバーを直接つっこむというワイルドさは素敵。やっぱりレバーは危ないので気をつけよう。

最後に謎がひとつ。マイクが冷凍睡眠から目覚めるときと怪物を倒したときに、作中のシーンが脈絡もなく継ぎはぎされた映像が挟まれるの。最初は無限ループの伏線かとも思ったが、とくにそんなことはなかった。ただの謎演出のようだ。

 

 

まとめ

B級映画の皇帝プロデュースの見事なB級SFホラー作品。深夜に民放でやってそうな映画の雰囲気がたまらない人にはたまらない作品だろう。おっぱいがたくさんポロリするので、家族と見るのはおすすめできない。ひとりでこっそり見よう。

小説感想 〔少女庭国〕

『〔少女庭国〕』 

2014年 矢部嵩 早川書房

評価 9点/10点満点中

 

昨年、『ホモ・サピエンス全史』という本が大ヒットした。自分は読もう読もうと思って結局読めていないのだが、いまでも本屋では平積みされているほどの人気だ。この本のように、人類史を読み解く作品には一定の人気がある。人類の歴史、とくに文字が生まれる前の歴史には、関心がある人が多いのだろう。

本作『〔少女庭国〕』は、SFに分類されることが多いが、実際に読んでみるとこの本の持つあまりにも巨大で複雑な内容に戸惑うことになるだろう。卒業式に向かっていたはずの立川野田子女学院の生徒たち。彼女たちが目を覚ましたのは、一辺が五メートルの正方形の部屋。向かい合うように二つのドアがあり、片方は開けることができず、片方には張り紙がある。

「ドアが開けられた部屋の数をnとし死んだ卒業生の人数をmとする時、n-m=1とせよ」

果たして彼女たちは誰によって、どのようにして閉じ込められたのか。小さな部屋から始まる、無限の物語。

少し前まで絶版?だったのか、通販でも手に入らなかったので電子書籍版を購入したのだが、現在では「ハヤカワ百合SFフェア」とかなんとかで再版しているようで、手に入りやすくなったようだ。この本を百合SFというのはかなり無茶があるように思えるが、たいへん面白い本なのでぜひ読んでほしい。ただ、グロテスクな描写が多いので注意。

 

 

 

 

あらすじ(ネタバレなし)

仁科羊歯子は、白い壁に囲まれた部屋で目を覚ます。卒業式が行われる講堂に向かっていたはずの羊歯子だが、この部屋にいる経緯はまったくわからない。壁と同じように白い床と天井が、ぼんやりと光を発しており、部屋には二つのドアがある。片方のドアにはドアノブがなく開けられない。もう片方には張り紙がしてあり、卒業試験と称して以下の問題が印刷されている。

「ドアが開けられた部屋の数をnとし死んだ卒業生の人数をmとする時、n-m=1とせよ。

時間は無制限とする。その他条件も試験の範疇とする。合否に於いては脱出を以て発表に替える」

張り紙を取った羊歯子は、そのドアを開く。向こう側は羊歯子の部屋の同じような部屋があり、部屋の中央に女子生徒が寝ている。ドアを確認すると、向こう側にはドアノブがなく、一度閉じてしまうと羊歯子の部屋には入れないようになっている。羊歯子がドアを閉めないようにして寝ている女子生徒に呼び掛けると、彼女は目を覚ます。羊歯子は戸惑っている彼女を自分のほうへ呼び寄せる。村田犬子と名乗る女子生徒は、羊歯子と同じ立川野田子女学院を卒業する同級生だと言う。しかし、二人はお互いの名前どころが顔すらも見たことがない。犬子も羊歯子と同様に、卒業式へと向かっていたはずだと言う。犬子の胸には、在校生から送られる学校の温室で育てた生花が飾られていたことから、羊歯子は彼女が自分と同じ学校の同級生だと確信する。

二人は「卒業試験」を吟味して、合格には羊歯子か犬子かどちらかが死ななければいけないことに気が付く。羊歯子はドアを開けたことを後悔しながらも、自分が開けているドアに上履きを挟み閉まらないようにして、犬子の部屋の張り紙があるドアを開いて中に入る。また同じような部屋に同じように少女が寝ている。彼女も二人と同じ立場と状況であり、羊歯子たちは次々とドアを開いて、めいめいの部屋で寝ている少女を起こしていく。結局、十三人となった女生徒たち。全員が同じ学校の同級生にもかかわらず、顔すらわからない。それどころか、同じクラスなのに面識がない。しかし、教師の名前や性格などの、学校に関する記憶は一致する。

この不可思議な状況から脱出するために、彼女たちはどういう手段をとるのか。そして物語は恐るべき「補遺」へと続く。

 

 

 

 

 

 

 

感想(ネタバレあり)

おまけが本編

本作は、「少女庭国」と「少女庭国補遺」の二部構成になっている。書いたあらすじは「少女庭国」のほうであり、こちらは仁科羊歯子を中心とした十三人の少女の運命を描いている。数日過ごすうちに犬子が餓死したため、少女たちは自分のことを語り、誰がもっとも生き残るべきかを投票で決めることにする。

少女たちは淡々としているのように描かれている。犬子が死んでいることに気が付いた場面や、投票によって生き残りが、つまり自分が死ななければならないことが決定したときの彼女たちは、驚くほどにあっけらかんとしている。かといって、彼女たちのリアクションに現実味がないかといえばそうではない。彼女たちは諦めという名の狂気に陥っている。なにもない部屋に面識のない人間たちとともに閉じ込められて、状況が微塵も理解できない。苦しめるのは飢えだけではない。作中では排泄物をどうするかなどの話もでてくる。トイレが当たり前に存在する世界において、ただ広いだけの空間で排泄して、さらに自分が出したものが残るというのは、人としての尊厳が奪われているに等し。当然、風呂にも入ることができなければ、テレビだってインターネットだって使えないわけだ。当たり前のことができなくなる。現代に生きる女子高生がそんな生活を何日も過ごし、そのうえ脱出の望みもないとなれば、そりゃあもう諦める。

投票によって生き残りに選ばれた羊歯子は、とても慌てる。せっかく自分が生き残れるというのに、投票のやり直しを主張する。そして残りの少女たちはそれを拒否して、ルールにのっとり自分たちを殺すように羊歯子に要求する。抵抗した少女もいた、と書いてあるが、たいていの少女はむしろ協力的だった。最後の少女に至っては、殺さなければならない羊歯子を不憫に思い自殺する。羊歯子が慌てたのは、せっかく諦めていた彼女を希望が照らしたからだ。ゆっくり諦観に浸った心が、突然の刺激で急激な変容に曝される。

自分以外の全員が死んで、羊歯子は考える。

 

自分の代わりに死んだ子たちと生きていく人生ならば、自分は無駄にはしないのだろうかと思った。戻った後も自分は目標なんかないといって生きていくのか。将来のことを何も考えず普通に生活していくのだろうか。人を殺して生き延びておいてやりたいこともやってることも特にないなでそれまでやそれからを済ますのだろうか。それが出来ないだけの羽目に強制的に遭わされて、 誰かのための人生という物の見方を否定出来なくなってしまっていた。そんな人間性が試験で培えるのだとしたら、結構な話ではあると思った。

             矢部 嵩. 〔少女庭国〕 (Kindle の位置No.640-645). . Kindle 版.

 

羊歯子が考えるのは、自分のこれらかの生き方についてであり、自分たちをこんな目に遭わせた存在に対する憎しみや復讐心は抱かない。この卒業試験によって定められた自分の人生観、生き方。静かな変化とブルーな気分を残して、「少女庭国」は終わる。

読んでみると、地の文はくだけた調子で進み、少女たちも女子中学生のノリで状況に楽しみを見出そうとする。絶望的な状況において、彼女たちは明るい。しかしその明るさの裏には諦めがあり、先に書いたように排泄に関する説明などがある。

なぜ登場人物が女子中学生なのか?その必要性は?という疑問が湧いてくると思う。考えてみて欲しい。もし登場人物が中年男性や高齢女性など、老若男女で構成されていたとしたら、本作はただの『蠅の王』の変種にしかならない。本作が面白いのは、花盛りの女子中学生たちが色鮮やかに描かれると同時に、人間が生きるに従いついてくる汚いものがしっかりと描かれているところだ。どれだけ美しい人間だろうと、みずみずしい若さをもっていても、その腹の中には糞便が詰まっている。女子中学生たちが主役だからこそ、人間の二面性を見ることができる。そしてそれを乗り越えた羊歯子は、淡々と人生を思う。

やっぱり、これを「百合SF」と分類するのは無理だと思うんだ。

本作の真骨頂は、ここから始まる「少女庭国補遺」である。羊歯子と同じ状況に置かれた幾人もの少女たちの記録が書かれている。ときには実験結果のように、ときには少女たちの心情を交えて。いよいよ本作は、羊歯子というひとりの少女の物語から、凄まじいスケールに広がっていく。補遺が本編です。

 

少女、人肉、骨

「少女庭国補遺」の前半は、ごく短い記述が続く。多くの少女は問題を見ると、相手を一方的に殺したり、殺されたり、戦いになったり、自殺したりする。幾人かの少女たちは、爆弾だったり毒物を持っているという物騒な描写がある。

どうなってんだこの中学校。

長い記述が混じってくる。集団になった少女たちは、ドアノブがないドアのほうへと進むことを考える。やがて、開くほうのドアは「未来」とされ、開かないほうは「過去」と呼ばれるようになる。

いろんなことが分かってくる。部屋はおそらく無限に続くこと、少女たちは同じ立川野田子女学院の生徒だが、何千人規模になろうともお互いに面識がないこと、「未来」にいる少女は、ドアが開けられるまで時間が止まっているかのように保存されているということ、etc。

やがて何千人規模になった少女たちは、硬貨や金属類で「過去」方向の壁を掘り起こしはじめ、食糧問題を解決するのに食糞飲尿を取りいれる。ずいぶんハードな百合SFだな、おい。続いて自身の汗や皮脂、髪を食べることが試みられるが、最後には「未来」で眠っている女子生徒たちを殺して食べることにする。これが百合なら猟奇的すぎませんかね。殺された少女たちの胃の中からミミズなどのほかの生き物が出てきたときは重宝されたらしい。なんで胃の中にミミズがいるのかは、本作を読んでいただければ想像がつく。

少女たちは人肉とともに骨を手に入れ、それは道具となる。少女の群れは「過去」を掘り起こす者たちと、「未来」で食料を確保する者たち、その間で取り残される者に別れる。当然、三者のあいだには食料の供給に関して格差ができる。飢えが少女たちを襲って、やがて争いを生み、彼女たちは殺し合いになる。この辺りの描写はゾッとするほど生々しい。

そして新たな少女たちの物語が始まる。

無限に存在する少女たちは、脱出のために無限回の様々な試みを実行する。単純に隣室の少女を殺したりもすれば、巨大な集団になって指導者が生まれ、階級が生まれ、支配者と被支配者に別れる社会のようなものを作る。そして奴隷の反乱がおきて滅びる。またあるときは、胸に飾られた生花とわずかに付着していた砂を集めて農耕が生まれる。

割愛するが、作中終盤では、空間は拡張されて巨大な街ができあがり、人肉と農耕、家族や緩やかな階級といった文明ができあがる。

「少女庭国補遺」は、まるで人類の原始時代の歩みや、生命そのものの辿ってきた道筋を見ているようでもある。無限の少女たちによって繰り返される無限の試行。そのいくつかは驚嘆すべき結果へと行きつく。

生命が生まれる確率はあり得ないと言われるほど小さい。さらに人間が生まれ、いまこんな文章を書くことになる確率など、0がいくつあっても足りないほどの確率だろう。しかし、宇宙には0がいくつあっても足りないほどの実験場があり、人間の尺度では認識できないほどの時間がある。そう考えると、あらゆることが必然に思える。

『少女庭国』では、これを女子中学生と謎の密室に置き換えて、物語として完成させている。これは物語のかたちをとった一種の思考実験だ。無限の空間をつくり無限の少女たちを閉じ込めた存在は最後までわからない。そもそも、立川野田子女学院なるもの、そして少女たちも本当に人間だったのかもわからない。この実験のために要請された道具でしかないのかもしれない。

かといって、本作が物語としての面白さを放棄しているかといえばそうではない。女子中学生らしい登場人物たちの行動や心理が、地の文の調子と相まって生き生きと描かれている。最後の少女たちの物語が与える読後感は、冷たいが繊細で人間味がある。構成も丁寧で、前半の内容が後半に生かされていることも多い。こうした小説としての面白さが、スケールの大きさゆえに俯瞰してしまいそうになるのを、等身大の視線に戻してくれる。

 

まとめ

少女たちの密室サスペンスから、巨大な思考実験という恐るべき変貌を遂げる本作。投げ飛ばされた謎は解決されることはないが、そんなことが気にならないくらい圧倒的な内容に飲み込まれるだろう。ただ、やっぱり「百合SF」ではないと思うんだ。