自分という病

主に映画の感想 たまに変なことも書きます。あらすじは長いです。

小説感想 〔少女庭国〕

『〔少女庭国〕』 

2014年 矢部嵩 早川書房

評価 9点/10点満点中

 

昨年、『ホモ・サピエンス全史』という本が大ヒットした。自分は読もう読もうと思って結局読めていないのだが、いまでも本屋では平積みされているほどの人気だ。この本のように、人類史を読み解く作品には一定の人気がある。人類の歴史、とくに文字が生まれる前の歴史には、関心がある人が多いのだろう。

本作『〔少女庭国〕』は、SFに分類されることが多いが、実際に読んでみるとこの本の持つあまりにも巨大で複雑な内容に戸惑うことになるだろう。卒業式に向かっていたはずの立川野田子女学院の生徒たち。彼女たちが目を覚ましたのは、一辺が五メートルの正方形の部屋。向かい合うように二つのドアがあり、片方は開けることができず、片方には張り紙がある。

「ドアが開けられた部屋の数をnとし死んだ卒業生の人数をmとする時、n-m=1とせよ」

果たして彼女たちは誰によって、どのようにして閉じ込められたのか。小さな部屋から始まる、無限の物語。

少し前まで絶版?だったのか、通販でも手に入らなかったので電子書籍版を購入したのだが、現在では「ハヤカワ百合SFフェア」とかなんとかで再版しているようで、手に入りやすくなったようだ。この本を百合SFというのはかなり無茶があるように思えるが、たいへん面白い本なのでぜひ読んでほしい。ただ、グロテスクな描写が多いので注意。

 

 

 

 

あらすじ(ネタバレなし)

仁科羊歯子は、白い壁に囲まれた部屋で目を覚ます。卒業式が行われる講堂に向かっていたはずの羊歯子だが、この部屋にいる経緯はまったくわからない。壁と同じように白い床と天井が、ぼんやりと光を発しており、部屋には二つのドアがある。片方のドアにはドアノブがなく開けられない。もう片方には張り紙がしてあり、卒業試験と称して以下の問題が印刷されている。

「ドアが開けられた部屋の数をnとし死んだ卒業生の人数をmとする時、n-m=1とせよ。

時間は無制限とする。その他条件も試験の範疇とする。合否に於いては脱出を以て発表に替える」

張り紙を取った羊歯子は、そのドアを開く。向こう側は羊歯子の部屋の同じような部屋があり、部屋の中央に女子生徒が寝ている。ドアを確認すると、向こう側にはドアノブがなく、一度閉じてしまうと羊歯子の部屋には入れないようになっている。羊歯子がドアを閉めないようにして寝ている女子生徒に呼び掛けると、彼女は目を覚ます。羊歯子は戸惑っている彼女を自分のほうへ呼び寄せる。村田犬子と名乗る女子生徒は、羊歯子と同じ立川野田子女学院を卒業する同級生だと言う。しかし、二人はお互いの名前どころが顔すらも見たことがない。犬子も羊歯子と同様に、卒業式へと向かっていたはずだと言う。犬子の胸には、在校生から送られる学校の温室で育てた生花が飾られていたことから、羊歯子は彼女が自分と同じ学校の同級生だと確信する。

二人は「卒業試験」を吟味して、合格には羊歯子か犬子かどちらかが死ななければいけないことに気が付く。羊歯子はドアを開けたことを後悔しながらも、自分が開けているドアに上履きを挟み閉まらないようにして、犬子の部屋の張り紙があるドアを開いて中に入る。また同じような部屋に同じように少女が寝ている。彼女も二人と同じ立場と状況であり、羊歯子たちは次々とドアを開いて、めいめいの部屋で寝ている少女を起こしていく。結局、十三人となった女生徒たち。全員が同じ学校の同級生にもかかわらず、顔すらわからない。それどころか、同じクラスなのに面識がない。しかし、教師の名前や性格などの、学校に関する記憶は一致する。

この不可思議な状況から脱出するために、彼女たちはどういう手段をとるのか。そして物語は恐るべき「補遺」へと続く。

 

 

 

 

 

 

 

感想(ネタバレあり)

おまけが本編

本作は、「少女庭国」と「少女庭国補遺」の二部構成になっている。書いたあらすじは「少女庭国」のほうであり、こちらは仁科羊歯子を中心とした十三人の少女の運命を描いている。数日過ごすうちに犬子が餓死したため、少女たちは自分のことを語り、誰がもっとも生き残るべきかを投票で決めることにする。

少女たちは淡々としているのように描かれている。犬子が死んでいることに気が付いた場面や、投票によって生き残りが、つまり自分が死ななければならないことが決定したときの彼女たちは、驚くほどにあっけらかんとしている。かといって、彼女たちのリアクションに現実味がないかといえばそうではない。彼女たちは諦めという名の狂気に陥っている。なにもない部屋に面識のない人間たちとともに閉じ込められて、状況が微塵も理解できない。苦しめるのは飢えだけではない。作中では排泄物をどうするかなどの話もでてくる。トイレが当たり前に存在する世界において、ただ広いだけの空間で排泄して、さらに自分が出したものが残るというのは、人としての尊厳が奪われているに等し。当然、風呂にも入ることができなければ、テレビだってインターネットだって使えないわけだ。当たり前のことができなくなる。現代に生きる女子高生がそんな生活を何日も過ごし、そのうえ脱出の望みもないとなれば、そりゃあもう諦める。

投票によって生き残りに選ばれた羊歯子は、とても慌てる。せっかく自分が生き残れるというのに、投票のやり直しを主張する。そして残りの少女たちはそれを拒否して、ルールにのっとり自分たちを殺すように羊歯子に要求する。抵抗した少女もいた、と書いてあるが、たいていの少女はむしろ協力的だった。最後の少女に至っては、殺さなければならない羊歯子を不憫に思い自殺する。羊歯子が慌てたのは、せっかく諦めていた彼女を希望が照らしたからだ。ゆっくり諦観に浸った心が、突然の刺激で急激な変容に曝される。

自分以外の全員が死んで、羊歯子は考える。

 

自分の代わりに死んだ子たちと生きていく人生ならば、自分は無駄にはしないのだろうかと思った。戻った後も自分は目標なんかないといって生きていくのか。将来のことを何も考えず普通に生活していくのだろうか。人を殺して生き延びておいてやりたいこともやってることも特にないなでそれまでやそれからを済ますのだろうか。それが出来ないだけの羽目に強制的に遭わされて、 誰かのための人生という物の見方を否定出来なくなってしまっていた。そんな人間性が試験で培えるのだとしたら、結構な話ではあると思った。

             矢部 嵩. 〔少女庭国〕 (Kindle の位置No.640-645). . Kindle 版.

 

羊歯子が考えるのは、自分のこれらかの生き方についてであり、自分たちをこんな目に遭わせた存在に対する憎しみや復讐心は抱かない。この卒業試験によって定められた自分の人生観、生き方。静かな変化とブルーな気分を残して、「少女庭国」は終わる。

読んでみると、地の文はくだけた調子で進み、少女たちも女子中学生のノリで状況に楽しみを見出そうとする。絶望的な状況において、彼女たちは明るい。しかしその明るさの裏には諦めがあり、先に書いたように排泄に関する説明などがある。

なぜ登場人物が女子中学生なのか?その必要性は?という疑問が湧いてくると思う。考えてみて欲しい。もし登場人物が中年男性や高齢女性など、老若男女で構成されていたとしたら、本作はただの『蠅の王』の変種にしかならない。本作が面白いのは、花盛りの女子中学生たちが色鮮やかに描かれると同時に、人間が生きるに従いついてくる汚いものがしっかりと描かれているところだ。どれだけ美しい人間だろうと、みずみずしい若さをもっていても、その腹の中には糞便が詰まっている。女子中学生たちが主役だからこそ、人間の二面性を見ることができる。そしてそれを乗り越えた羊歯子は、淡々と人生を思う。

やっぱり、これを「百合SF」と分類するのは無理だと思うんだ。

本作の真骨頂は、ここから始まる「少女庭国補遺」である。羊歯子と同じ状況に置かれた幾人もの少女たちの記録が書かれている。ときには実験結果のように、ときには少女たちの心情を交えて。いよいよ本作は、羊歯子というひとりの少女の物語から、凄まじいスケールに広がっていく。補遺が本編です。

 

少女、人肉、骨

「少女庭国補遺」の前半は、ごく短い記述が続く。多くの少女は問題を見ると、相手を一方的に殺したり、殺されたり、戦いになったり、自殺したりする。幾人かの少女たちは、爆弾だったり毒物を持っているという物騒な描写がある。

どうなってんだこの中学校。

長い記述が混じってくる。集団になった少女たちは、ドアノブがないドアのほうへと進むことを考える。やがて、開くほうのドアは「未来」とされ、開かないほうは「過去」と呼ばれるようになる。

いろんなことが分かってくる。部屋はおそらく無限に続くこと、少女たちは同じ立川野田子女学院の生徒だが、何千人規模になろうともお互いに面識がないこと、「未来」にいる少女は、ドアが開けられるまで時間が止まっているかのように保存されているということ、etc。

やがて何千人規模になった少女たちは、硬貨や金属類で「過去」方向の壁を掘り起こしはじめ、食糧問題を解決するのに食糞飲尿を取りいれる。ずいぶんハードな百合SFだな、おい。続いて自身の汗や皮脂、髪を食べることが試みられるが、最後には「未来」で眠っている女子生徒たちを殺して食べることにする。これが百合なら猟奇的すぎませんかね。殺された少女たちの胃の中からミミズなどのほかの生き物が出てきたときは重宝されたらしい。なんで胃の中にミミズがいるのかは、本作を読んでいただければ想像がつく。

少女たちは人肉とともに骨を手に入れ、それは道具となる。少女の群れは「過去」を掘り起こす者たちと、「未来」で食料を確保する者たち、その間で取り残される者に別れる。当然、三者のあいだには食料の供給に関して格差ができる。飢えが少女たちを襲って、やがて争いを生み、彼女たちは殺し合いになる。この辺りの描写はゾッとするほど生々しい。

そして新たな少女たちの物語が始まる。

無限に存在する少女たちは、脱出のために無限回の様々な試みを実行する。単純に隣室の少女を殺したりもすれば、巨大な集団になって指導者が生まれ、階級が生まれ、支配者と被支配者に別れる社会のようなものを作る。そして奴隷の反乱がおきて滅びる。またあるときは、胸に飾られた生花とわずかに付着していた砂を集めて農耕が生まれる。

割愛するが、作中終盤では、空間は拡張されて巨大な街ができあがり、人肉と農耕、家族や緩やかな階級といった文明ができあがる。

「少女庭国補遺」は、まるで人類の原始時代の歩みや、生命そのものの辿ってきた道筋を見ているようでもある。無限の少女たちによって繰り返される無限の試行。そのいくつかは驚嘆すべき結果へと行きつく。

生命が生まれる確率はあり得ないと言われるほど小さい。さらに人間が生まれ、いまこんな文章を書くことになる確率など、0がいくつあっても足りないほどの確率だろう。しかし、宇宙には0がいくつあっても足りないほどの実験場があり、人間の尺度では認識できないほどの時間がある。そう考えると、あらゆることが必然に思える。

『少女庭国』では、これを女子中学生と謎の密室に置き換えて、物語として完成させている。これは物語のかたちをとった一種の思考実験だ。無限の空間をつくり無限の少女たちを閉じ込めた存在は最後までわからない。そもそも、立川野田子女学院なるもの、そして少女たちも本当に人間だったのかもわからない。この実験のために要請された道具でしかないのかもしれない。

かといって、本作が物語としての面白さを放棄しているかといえばそうではない。女子中学生らしい登場人物たちの行動や心理が、地の文の調子と相まって生き生きと描かれている。最後の少女たちの物語が与える読後感は、冷たいが繊細で人間味がある。構成も丁寧で、前半の内容が後半に生かされていることも多い。こうした小説としての面白さが、スケールの大きさゆえに俯瞰してしまいそうになるのを、等身大の視線に戻してくれる。

 

まとめ

少女たちの密室サスペンスから、巨大な思考実験という恐るべき変貌を遂げる本作。投げ飛ばされた謎は解決されることはないが、そんなことが気にならないくらい圧倒的な内容に飲み込まれるだろう。ただ、やっぱり「百合SF」ではないと思うんだ。