自分という病

主に映画の感想 たまに変なことも書きます。あらすじは長いです。

映画感想 プリデスティネーション

プリデスティネーション

  (原題:Predestination)

2014年 97分 オーストラリア

評価 9.5点/10点満点中

 

タイムパラドックスはSFの大きなテーマのひとつで、現在のタイムトラベルSFではこのパラドックスを扱ったものが中心になっている。有名なのは「親殺しのパラドックス」だ。タイムトラベルして自分の親を殺したら、自分は生まれないのだから親が殺されるという事象も発生しない。だがそうすると自分は生まれて、親は殺される。しかし殺されると自分は生まれず親は殺されない・・・・・・。このように無限の循環の陥ってしまう。パラレルワールドや過去不可変など、さまざまな回答が試みられてはいるものの、そもそもタイムトラベルができないのだから確かめようがない。

本作もタイムパラドックスを扱った作品で、原作はSFの大家ロバート・A・ハインラインの書いた短編「輪廻の蛇」(原題:All You Zombies)。早川書房から出ている同名の短編集に収められている本作は、日本語では三十ページ弱しかない。ハインラインも一日で書き上げたという。けれども、タイムパラドックスの名作といえば、この作品を上げる人も少なくない名作である。『プリデスティネーション』は、「輪廻の蛇」をかなり忠実に、しかも三十ページを一時間半の映画に仕立て上げた傑作だ。その難解さゆえに理解が難しいので、今回は解説を中心に書いていく。映画の良さが損なわれるので、あらすじはかなり簡潔に書く。

 

 

 

 

あらすじ(ネタバレなし)

航時局の任務は、時間を遡り重大な事件を阻止すること。エージェントの男は、1970年のニューヨークの地下鉄で、「不完全な爆弾魔(フィズル・ボマー)」の爆弾を解体しようとする。しかし妨害にあい解体は失敗し、エージェントは顔に大やけどを負う。床を這いずるエージェントは、謎の人影が航時機を近くに寄せてくれたおかげで1992年に飛ぶことができ、航時局で治療を受ける。

火傷により顔も声も変わってしまったエージェントは、最後の重要な任務として、1970年に飛び、ポップ酒場というバーでバーテンダーに就く。そこにやってきた若い男と話し始めるエージェント。若い男は「未婚の母」というペンネームで女性向け雑誌に告白話を書いて生計を立てているという。その本を読んでいるバーテンダーは、「未婚の母」の話は女の視点で語られていると彼を誉める。女の視点ならよくわかると言う「未婚の母」に、バーテンダーはそのわけを教えてくれと乞うが、「未婚の母」は信じやしないと拒否する。酒の瓶を賭けることを条件に、「未婚の母」である若い男は語り始める。

「私が少女の頃・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

解説と感想(ネタバレあり)

厨二の時はウロボロスに憧れる

本作では何度もタイムスリップが行われており、初見だったり意識して見なければ、物語がとても複雑に見せるかもしれない。しかし、この作品の巧みなところは、一度理解してしまえば、バラバラだったシーンが見事に一本につながる。

まず一番重要なことだが、本作の登場人物はほとんどひとりである。イーサン・ホーク演じるバーテンダーサラ・スヌーク演じるジェーン、ジェーンが性転換した姿のジョン、ニューヨークで爆破事件を起こす「不完全な爆弾魔(フィズル・ボマー)」。この三人はすべてひとりの人物であり、ひとつの円環を形成している。

とりあえず、各シーンと時系列を確認しよう。下の図は各シーンを時系列に並べたものである。緑の矢印はバーテンダーが行ったタイムトリップ、赤い矢印はジョンが行ったタイムトリップ。シーンの横にある番号は、作中で描かれた順番である。複数の数字があるものは、複数回描かれた場面だ。見づらいと思うが許してほしい。

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シーンを時系列に直した表

実に複雑である。とくに後半になってから、バーテンダーは怒涛のタイムスリップを行う。やってることもタイムパトロール案件だ。

映画のシーン順に解説していこう。ここでは、イーサン・ホークが演じているのをバーテンダーサラ・スヌーク演じているのをジョンとする。

1970年3月、冒頭の爆弾の解除に失敗する人物、これはジョンだ。ジョンは火傷を負うが、未来から来たバーテンダーにより助けられる(ここでバーテンダーが助けに来た理由は後述)。時航局に帰ってきたジョンは手術を受けてバーテンダーとなる。

つぎにバーテンダーは最後のミッションに向かう。

最後のミッションは、過去の自分を恋に落とし失恋させ、自分に自分を出産させて、性転換した自分を時航局のエージェントにすること。本作で描かれているのはこの部分。

まずバーテンダーは1970年11月に向かい、そこにやってくるジョンを1963年にタイムトリップさせる。目的はジョンをジェーンに引き合わせ、ジェーンを妊娠させること。つまり自分と自分の子を作ることである。実際にそんなことが可能なのかよ、という疑問は置いておこう。

1963年にジョンを置いてきたバーテンダーは1970年の3月に向かい、火傷を負ったジョンに変界機(タイムマシン)を渡す。バーテンダーがこの時代にやってきたことは、一見すると脈絡がないように思える。しかし、ジョンは自分が火傷を負ったとき、助けに来た人物(バーテンダー)の顔を見ている。ジョンは火傷の治療を受け、顔と声が変貌したとき(バーテンダーになったとき)、助けに来たのが未来の自分だと悟った。つまり、助けに来たのが自分だと知っていたから助けに行った、ということになる。非常に逆説的、パラドックスなイベントだ。

つぎにバーテンダーは1964年に向かう。この年では、ジョンが姿を消したことでひとりになったジェーンが、ジョンとの間にできた赤ん坊を生んでいる。バーテンダーはこの赤ん坊を盗み出す。

そして1945年に飛んだバーテンダーは、孤児院に赤ん坊を預ける。この赤ん坊は成長してジェーンになる。つまりジェーンは自分で自分を生んだことになる。ジェーン(ジョンでありバーテンダーでありフィズル・ボマー)は、成長した自分と男になった自分の子どもということになる。2つの時間軸の自分の間に生まれた自分だ。

まるで禅問答のようだが、おわかりいただけるだろうか。すべての人間には生物学的には父親と母親が存在し、さらに祖父母もいる。辿っていけばその系譜はピラミッドのようになる。しかし、ジェーンはそれが円になっている。というより、系譜というものが存在しない。人間は親から子へと進んでいく。しかし、自分が親であり子であるジェーンは、時が進んでもぐるぐると回っているだけだ。親になったジェーンは子のジェーンを生み、その子がまた親としてのジェーンになり子のジェーンを生む。ジェーンは一種のループに入っている。

話を戻そう。孤児院に赤ん坊の自分を置いたバーテンダーは、1963年に向かいジョンを回収する。ジェーンにとってはジョンが突然姿を消したことになる。そしてここで、ジョンはバーテンダーが自分自身だと悟る。

1985年にジョンを連れてきたバーテンダーは、彼を上司のロバートソンに預ける。これから、ジョンは時航局のエージェントとして活動することになり、バーテンダーは引退する。

引退したバーテンダーは1970年に飛び、そこで余生を過ごすことを決める。しかし、その年はフィズル・ボマーがニューヨークで大規模なテロを起こす年であり、そんな年に彼が飛んだのは、フィズル・ボマーを止める気があったからだと思われる。

バーテンダーはロバートソンから受け取った資料から、1970年の3月にフィズル・ボマーがコインランドリーに現れることを知る。当日、バーテンダーはコインランドリーに向かいフィズル・ボマーと対面。フィズル・ボマーが自身だっと知る。バーテンダーはフィズル・ボマーから協力を持ち掛けられるが、彼を撃ち殺す。物語は、バーテンダーがまだ機能する界変機を見つめるところで終わる。

このラストは、バーテンダーがやがてフィズル・ボマーになることを示唆している。なぜ彼の人格が大きく変わり、フィズル・ボマーになるかは明白だ。度重なるタイムトリップにより、彼は精神病と認知症を患っている。そのうえ、彼は作中で何度も、自分にはこの仕事(時航局のエージェント)しかないと語る。彼は引退したが、仕事を忘れることができない。おそらく精神病と認知症のせいで骨董品屋のアリスとの関係もうまくいかない。追いつめられていったバーテンダーは、かつてのように変界機を使って過去の犯罪を防ぐことを始める。しかし、病によって認知の歪んだ彼は、爆発によって犯罪が起こる場所を破壊するという本末転倒な行いを始める。そして彼はフィズル・ボマーになっていく。

以上が『プリデスティネーション』の解説。たぶん、こんな感じであっていると思う。

 

All You Zombies

じつに巧妙なストーリである。原作もアイデアを簡潔にまとめた素晴らしい短編だが、映画はアイデアに見事な肉付けを果たしている。原作では淡々と語られるジョンの過去をしっかりと描き、フィズル・ボマーというキャラを登場させることで、ジョンの顔をバーテンダーに変える原因を作り、ジョンをスカウトするだけの原作に比べてエンタメ性も向上させている。

複雑なストーリーだがけっして解けないようには作られておらず、すべてが分かったときの爽快感はたまらないものがある。記憶を消してもう一度視聴したくらいだ。

ツッコミどころや気になるところもある。出産と射精が可能なほど両性の性器が成熟するインターセクシャルが存在するのか? このタイムループの一週目は発生するのかなどだ。

インターセクシャル(いわゆる半陰陽)の人々は、両方の性器(の一部)を持つが、たいていの場合片方は未熟である。それがホルモン投与で、しかも二次性徴を過ぎた人間を生殖が可能なほど成熟させることができるのだろうか。こういうことは詳しくないのでわからないが、かなり厳しそうである。

そしてジェーンが陥っているタイムループだが、これは未来の自分の干渉をもって構築されるループだ。だが、一週目のループではまだ未来の自分は存在しないが、未来の自分が干渉している。このあたりは、ジェーンが時間の流れから外れた存在であり、直線的な時間の流れのロジックを当てはめることができないのだろう。それこそがまさしく「輪廻の蛇」なのだから。

ロバートソンの存在も気になる。フィズル・ボマーはすべてはロバートソンの意のままだと語った。また、ロバートソンは引退したバーテンダーにフィズル・ボマーの居場所を突き止めたファイルを渡している。ロバートソンはフィズル・ボマーの正体に気がついているし、その動向も掴んでいる。それでも彼がフィズル・ボマーを止めないのは、ジョンという優秀なエージェントを確保するためだろう。百の事件を阻止するには、フィズル・ボマーの犠牲も止む無しという考えなのか、自分がひとりの人間の人生をまるっと操っていることに喜びを見出しているのかはわからない。だが、変界機が壊れないことも、フィズル・ボマーの正体にうすうす感づいていたバーテンダーの取る行動も、すべて彼の意のままということだ。ロバートソンはフィズル・ボマーと同じく原作には登場しないキャラクターである。

原作の締め方は、映画としては物足りない。そこでフィズル・ボマーという悪役を倒すことで締める。フィズル・ボマーもジェーンの円環に組み込みたい。それなら、ジェーンがフィズル・ボマーへと変貌する原因が必要となる。そこで認知症や精神病というタイムトリップの副作用を付け加える。さらにロバートソンを作りすべてを操らせれば、そのあたりは解決できる。ロバートソンは物語全体の弱いほころびを繕うのに、非常に便利だ。ある意味では、製作側と同じ神の視点と力を持っている。

フィズル・ボマーは殺したが、ニューヨークの爆破は止められないと思う。なぜなら、フィズル・ボマーは自由に時間を行き来できる。殺した時点より以前フィズル・ボマーは1970年にやってきて爆破を行うし、それが決まった未来なのだ。そもそも、ニューヨークの爆破自体、フィズル・ボマーを生み出すためのロバートソンの自作自演かもしれないのだ。

この物語は、ひとりの人間の悲しい人生だ。孤児として生まれ、知らずに自分に恋をして捨てられ、生んだ子どもを取り上げられた挙句、性転換まで余儀なくされる。なんとか生き延びてたどり着いたのは、かつての自分を捨てたのは自分自身だということ。そして今度は自分を捨てなければならない。それからは時間を飛び回り、顔も声も変わってしまい、自分の人生の悲しみすべてを再現するために過去へと戻る。最後には自分を撃ち殺して、爆弾魔へと変貌する。predestinationという単語には、運命や宿命という意味のほかに、「予定説」という意味もある。「予定説」とは、キリスト教神学の考え方のひとつで、神によって救われる人間はあらかじめ決まっている、という説である。この説によると、救われないことが決まっている人間は、どれだけ善行を積もうと救われないということになる(もっとも、救われるような人間は善行を積む人間なのだが)。この物語も、けっして救われることのないひとりの人間の話なのだ。

終盤にバーテンダーが独り言ちる「お前らゾンビは?」というセリフ。これは原作の原題にもなっている(All You Zombies)。このセリフを解釈するのは難しい。バーテンダーの世界は生まれることも死ぬことも自分だけで完結している。自分がどこから来たのかも知っている。自分の死が新しい自分に繋がることも知っている。一方で他の人間は、他人から生まれ他人へと繋がり死んでいく。死ねばそれっきりだ。バーテンダーにとって他人は、自分のループの中に現れる、自分によく似た異質な存在だ。姿は人でありながら、人ではないゾンビに見える。あくまで個人的な解釈だが。

海外では、これを哲学的ゾンビに結びつける向きもあるようだ。哲学的ゾンビとは、姿形はもちろんのこと、脳の電気信号も人間と同じように発生作用するものの、意識を持たない哲学上の存在のことである。詳しくは調べて欲しい。

バーテンダーにとっては、他人はまさしく哲学的ゾンビのような、似ているが決定的に異なる異質な存在ということだ。ハインラインが唯我論に傾倒していたなどもあったが、真偽はわからない。もっとも、哲学的ゾンビという考え方は90年代に登場したものなので、ハインラインは知らなかっただろうが(原作は1959年に出版)。

 

 

まとめ

複雑なストーリーに複雑なキャラクターを持ちながら、しっかり解けるパズルになっている『プリデスティネーション』。タイムパラドックスSFの名作であり、素晴らしいアイデアの原作を見事に映像化している。解説を読んだあとに、もう一度本編を見返してほしい。書き損ねた細かな描写やヒントが見つかるだろう。