自分という病

主に映画の感想 たまに変なことも書きます。あらすじは長いです。

映画感想 汝の敵日本を知れ

『汝の敵日本を知れ』

  (原題:Know Your Enemy:Japan)

1945年 63分 アメリ

評価 8.5点/10点満点中

 

今回の内容には政治的な内容が含まれるので、見たくない人は無視してください。

 

プロパガンダと聞けば大仰なようだが、宣伝と言い換えてしまえば身の回りに溢れている。街中はもちろん、テレビやインターネットにも。それらと触れずに生きていくのは現代では困難だろう。

多くの場合、プロパガンダは政治的な扇動を行うための宣伝とされる。中世ヨーロッパでは教会が人々をたきつけて十字軍をイスラエルに向かわせたように、二十世紀でも多くの国がプロパガンダを用いて国民の意識を戦争へと向かわせた。

本作は太平洋戦争中にアメリカで作られたプロパガンダ映画である。日本の文化や国民の特徴が、侮蔑的な言葉とともに語られる。ただ、この映画は差別的なプロパガンダとしては終わらない。作中で語られる日本人の特徴や文化は、見事に的を射ているものが多く、アメリカの分析力には舌を巻く。すべてが正しいとは言えないが、先の破滅的な大戦に日本が向かってしまった理由も見えてくる。

本作の公開は1945年の八月九日。広島に原爆が落とされて三日目、そして長崎に原爆が落とされた日でもある。大戦の末期も末期なので、実際には軍隊にも民間にも公開されなかったようである。まあ、そこまでくると意味ないしね。

あらすじは書きようがないので、省略します。

 

 

 

 

 

 

感想(ネタバレ?あり)

汝の過去日本を知れ

まず語られるのは日本兵のこと。体型は兵士とは思えないほど貧相であり、顔は焼きまわしのようだと述べられている。たしかに欧米の兵士と比べれば体型に関しては劣っていただろう。顔に関しては人種が異なるという点が大きいのではないか。意外だったのが、日本兵の忍耐力や頑強さを評価しているところ。プロパガンダとはいえ、敵を見くびるべきではないということだろうか。ご飯を食べて笑う日本兵の映像を見たときには胸が痛んだ。自分たちと変わらず楽しそうな笑みを浮かべる彼らが、異国の地で人を殺したり殺されたりした。殺されなくても多くは飢えと病で死んでいったのだ。

内容はそのまま、日本人の精神性と天皇の話題に移る。とくに、日本人の精神と天皇は強く結びついていると語る。実際に、大日本帝国ではそうだろう。日本人にとって大統領とローマ教皇とイエスを足した存在だと説明されると、現代に生きる我々にもその存在の影響力がうかがえる。

天皇の存在や歴史についても説明も詳しい。天皇の誕生に関する神話から、八紘一宇まで語られている。現代では八紘一宇なんて知らない人のほうが多いだろう。

神道についての説明は、自分にとっても新鮮なものが多かった。とくに霊(spirits)に関することだ。英霊や八百万の神々(なぜか本編では九百万となっていた)という考え方はいまでも存在するが、もっと広い死者の霊と神道を結び付けるのは現代ではあまりしないのではないだろうか。そう思いながらも、ご先祖様という言葉を思い出してみたりする。ご先祖様が見守ってくれるというのは、作中に語られる霊の役割と同じかもしれない。

ここでも意外なのが、神道の本来の姿は古風な信仰であると、説明されるところである。しかし、明治に入り神道が国家と結びつき、狂信的な教理を持ち込んだと語る。その教理こそが八紘一宇だ。

八紘一宇とは、「八紘(世界)をひとつの宇(いえ)にすること」でこれを国家の使命として、戦前戦中はこの言葉が日本の侵略戦争を正当化するスローガンとして使われた。本作でも頻出し、かなり詳しい説明がでてくることから、アメリカ側もこのスローガンを重要視していたことがわかる。

そもそも八紘一宇とは日本書紀に出てくる言葉から、戦前の宗教家の田中智學が提唱した言葉である。田中自身は八紘一宇を侵略正当化のスローガンとして唱えたわけではなく、すべての人種や民族が各々の場所で自身がもつ文化特徴を活かすこと、くらいに唱え、戦争には反対していたらしい。もっとも、田中は日蓮主義の国体論者であり、八紘一宇にもその中心に一大生命があるとしている。この一大生命は天皇だろう。

田中の唱えた八紘一宇を軍部がさらに過激にして喧伝したのが、現在でイメージする八紘一宇だ。近衛内閣によって国家スローガンとされたのだから、この言葉が当時の日本でもつ意味は大きかっただろう。自分自身、八紘一宇の大まかなことは知っていたが、この映画を見なければ誕生の経緯まではしらなかっただろう。戦中のアメリカ映画からでも学ぶことは多い。

閑話休題

八紘一宇国家神道の考えにより、日本兵は降伏よりも死を選ぶと語られる。死ねば軍神や英霊となるが、生きて帰れば家族まで及ぶ恥辱となるからだ。目を開いて死んだ兵士、手りゅう弾を裂けた口にくわえる兵士など、痛ましい絵が続く。当時の思想の異常性と戦争の恐ろしさを知ることができる映像だ。

続いて日本の地理がざっと説明され、話題は歴史へと移る。歴史では武士道が中心になっている。武士道といっても、現在で語られる忠義の心のようなものでなく、正反対に裏切りやだまし討ちを奨励したものである、と説明される。たしかに、弱肉強食の戦国時代では裏切りやだまし討ちは当然のことであり、それこそが立身出世、そして生き残る道とされた。我々が抱く武士のイメージは、平和な江戸時代以降に作り上げられたものが大きいだろう。

秀吉の朝鮮出兵に続き、キリスト教の伝来が語られる。ここで本作がプロパガンダ映画だと言うこと思い出す。やはり戦前のアメリカだからか、キリスト教を人類平等の愛と平和の宗教であり、キリシタンの弾圧を強く非難している。たしかにキリスト教の教理自体は愛と平和かもしれないし、キリシタンの弾圧は酷いものだが、当時はキリスト教のもとにアメリカ大陸や東南アジアへヨーロッパが進出していた時代だ。ある意味では、キリスト教が八紘一宇となっていた時代でもある。プロパガンダ映画だからこその違和感があった。

面白いのは、天皇とは幕末になり中央集権国家を建設するにあたり祭り上げられたものだと断言していることだ。実際に、平安時代の摂政政治から江戸時代の武家政治まで長きにわたる長きにわたり、天皇の政治権限は弱かった。この映画では、日本が明治維新天皇が中心の国家になったとはいえ、本当のところは武士階級による支配が続いているとされている。たしかに、明治維新を成し遂げた志士たちの多くは、武士階級の出身だった。武士階級の子孫が政治家や軍人の地位におさまっており、戦中の当時でも支配構造は江戸時代から変わっていないと看破している。選挙が行われても、日本は貴族階級が支配しているのだとも。これは現代の日本でも同じかもしれない。日本の政治家には世襲議員が多く、自民党はとくに突出している。そして彼らの祖父や曽祖父は、戦前戦中からの政治家である。2019年現在の首相安倍晋三の祖父の岸信介は戦前からの政治家であり、さらにたどれば長州藩士の家系だ。武家階級といえどもピンからキリまであるが、この階級がいまでも力を持っていることは確かだろう。

ここから映画は日本人の精神性について語る。ここからが今の日本人にとっても耳の痛いところである。一部を引用する。

「上の者は下を支配する。下の者は上に服従し、中世さながらだ」

「今日でさえ日本に道徳的な正誤はない。上に服従的かどうかが問われるのみ」

「近代化されても生活は向上せず、個人の幸福は顧みられない。苦痛は神聖な美徳なのだ。だから日本人は働けるだけ働く」

「小作農は他国よりよく働き、さして食わず税も払うが文句を言わない」

「工場労働者は週48時間の高給取りではない。薄給で72時間働きづめ」

「なぜ日本人は運命を甘受するのか。なぜ労働組合を作り反抗しないのか(中略)自ら望んで鉄壁の社会構造に囚われている」

「日本の識字率は97%。だが日本の学校は心を育てない(中略)目的は同じ思考をする学童の量産」

書いていればキリがないのでこれくらいにする。どうだろうか? もちろん、反論することもあるし、当時のアメリカが自分のことを棚にあげているが、いまでも日本人の精神性や社会構造に通じるものがあるだろう。上意下達、お上思考、ブラック企業詰め込み教育。戦後、この国は生まれ変わったように見えて、まだまだ古い考えが根幹には残っているのだ。終戦から七十余年。この国には変わったところも多いが、根本が変わるにはまだ短いのかもしれない。

 

服を着た愚者が裸の愚者を笑う

本作の後半はかなりの日本批判が続くのだが、その中でも興味を惹かれるものがあった。日本が安売りコピー商品を海外で売りさばいているというものだ。それを支えるのは小さな家庭内手工業者で、彼らは奴隷のように働いている。しかし彼らの生活が良くなるためにお金は使われず、もっぱら軍事のために使われる。

少し前まで激しかった中国批判に似ている。中国は他国の商品をコピーして、工場を建設して国民を働かせる。そのお金は人民解放軍、ひいては共産党のために使われる。

かつての日本も同じだった。はたして中国を笑っている場合だろうか。注目すべきは、当時の日本製品の半分以上が家庭内手工業者が作っていたところである。現在の日本でも中小企業が日本を支えている。にもかかわらず、大企業による下請けいじめという問題がある。やはりここでも、本質は変わっていないのかもしれない。

終盤では、日本軍による蛮行とアメリカ軍の称揚が流される。日本の戦争犯罪というと南京事件などが注目されるが、ほかにもマニラ戦における市民の虐殺やバターン死の行進重慶爆撃など、多くの日本人が忘れてしまったことがある。これらの反省をすることが、アメリカの原爆や各地への空襲、そして沖縄戦を批判するための第一歩だと思う。ついでに、マニラ戦の市民の被害にはアメリカ軍の攻撃によるものが含まれていることは書いておくべきだろう。結局のところ、戦争には大義などなく、一部の人間が利益を求めるために起こすのだ。そして多くの人間が命を失うことになる。

 

 

まとめ

偏見があるとはいえ、戦前の日本を知ることができる作品。図星を指されるようなものも多く、日本の過去と現在を顧みるきっかけになるかもしれない。もちろんプロパガンダ映画なので、差別表現も誇張もあるし、アメリカが言えたことかと思うこともある。だが、他人ごとにしてはならない過去が七十余年前には存在したことを教えてくれる作品である。