自分という病

主に映画の感想 たまに変なことも書きます。あらすじは長いです。

映画感想 タイム・アフター・タイム

タイム・アフター・タイム

  (原題:Time After Time)

1979年 112分 アメリ

評価 8点/10点満点中

 

 

2011年、CERN(欧州原子核機構)が、ニュートリノ素粒子が光速を超えたという実験結果を報告した。結局のところ、実験の不備による観測ミスだったわけだが、このニュースはそれこそ光の速度で世界へと広がり、平日昼間のワイドショーでも扱われるほどだった。

相対性理論によると、物体が光速に近づけば近づくほど時間の進みは遅くなり、光速と同じになれば時間が止まるという。ならば光速を超えると過去に戻れるのでは、というのがそこから生まれた推測で、ニュートリノ実験の結果はそれを期待させた。

科学的な時間跳躍、つまり「タイム・マシン」の概念を広めたのは、H・G・ウェルズの『タイム・マシン』だろう。何度も映像化された古典SFの名作で、遥か未来に旅立った科学者が絶望的な未来を見る、ウェルズの思想が反映された作品だ。

本作は、そのウェルズ自身がタイムマシンに乗り、未来へと逃げたジャック・ザ・リッパ―を追うという奇想天外な作品。この一文だけで頭が混乱しそうな内容だが、それが意外とまとまっており、キャラクターも魅力的な一品。四十年前の作品で映像に古さを感じるが、多くの点で完成度の高い作品だ。あらすじに惹かれたならば、ぜひ見て欲しい。

本作は2016年にドラマ化されたが、ABCでは五話までしか放送されなかったらしい。人気がなかったのか。

シンディ・ローパーの同名曲『タイム・アフター・タイム』の元ネタでもある。

 

 

 

 

 

あらすじ(ネタバレなし)

1893年のロンドンでは、切り裂きジャックが世間をにぎわせている。その日も、ジャックは娼婦を殺害して夜の闇に消える。同じ日、作家のH・G・ウェルズは友人たちを招いて、新しい発明の発表会を開催する。遅れてやって来たジョン・スティーブンソン博士を待って、ウェルズは地下室に置いたタイムマシンをお披露目する。社会主義者のウェルズは、百年後の未来には社会主義によるユートピアができていると確信しており、それを確かめに行くために作ったのだと言う。

半信半疑の友人たちにウェルズがタイムマシンの説明をしていると、警察が家を訪ねてくる。切り裂きジャックが現れたので、周辺の家を捜査しているという彼らは、スティーブンソンのカバンから血の付いたグローブを発見する。慌てて警察とウェルズたちが家内を捜索するが、スティーブンソンはタイムマシンで未来へと逃亡したあとだった。

警察や友人たちが帰ったあと、ウェルズがタイムマシンでスティーブンソンを逃がしてしまったことに自責の念を感じていると、タイムマシンが1983年に帰ってくる。タイムマシンには逆転ロックという元の時代へと帰る機能があり、それの解除キーはウェルズが持っていた。ウェルズはありったけの現金や貴金属を集めると、スティーブンソンが逃亡した1979年へと向かう。

1979年についたタイムマシンはどこかの博物館の中にあり、ウェルズは周囲を確かめ、予想していた時間よりも八時間後の時間に着いたことに気が付く。博物館ではウェルズ自身の特別展が開かれており、彼の家具や持ち物が展示されている。外に出たウェルズは、ここがロンドンではなくサンフランシスコであり、八時間は二点間の時差だと気が付く。

とりあえず換金に銀行へと向かうウェルズだが、相場の関係で25ドルしか手に入らず、貴金属を売ろうにもアメリカのIDカードがないため売れない。教会すら追い出された彼は野宿で夜を過ごす。翌日、彼はIDカードのいらない質屋で貴金属を売り当面の金を作ると、ロンドン銀行へと向かう。そこで為替担当のエイミーに、自分と同じように古いお金を換金しに来た人間はいないか尋ねる。エイミーは、昨夜に男性がひとりやって来て、換金してホテルを紹介したと答える。ウェルズに一目惚れしたエイミーは、彼に街の案内を申し出る。ウェルズも彼女に惹かれていたので承諾し、タクシーに乗ってスティーブンソンのいるホテルに向かう。

ホテルについたウェルズは、スティーブンソンの部屋を訪れ、過去に戻って罪を償えと迫る。しかしスティーブンソンは、未来がウェルズの期待するようなユートピアではなく、より暴力的になり自分にピッタリだと、ウェルズの要求を拒絶する。さらに、ウェルズがもつ逆転ロックの制御キーを渡すよう脅す。取っ組み合いになった二人だが、ホテルのメイドが部屋に入ってきたことでスティーブンソンが逃げ出す。ウェルズに追いかけられたスティーブンソンは車の前に飛び出し轢かれ病院へと運ばれる。追って病院に着いたウェルズは、スティーブンソンが死んだことを聞かされる。しかし、遺体の確認は拒否される。

果たしてスティーブンソンは本当に死んだのか、そして時を超えて惹かれあうウェルズとエイミーのふたりの関係は。

 

 

 

 

 

 

 

 

感想(ネタバレあり)

サンフランシスコのロンドンリッパ―

風変わりなストーリーに目が行きがちだが、本作の一番評価したい点は、主人公ウェルズのキャラクターだろう。作家にして発明家、ヴィクトリア期の紳士然としていながらも、社会主義を信奉して自由恋愛を推奨する。まさしくこの時代の知識人らしいが、彼の言動には可愛らしさがある。理想は高いのだが、エイミーにおされて彼女と寝たり、非暴力を掲げながら危機に瀕せば銃を買いに走ったりと、けっして潔癖な人物ではなく人間味がある。

実際のウェルズも社会主義に傾倒していたときがあり、何度も結婚をしている。世界大戦を通して国際的な国家連合の必要性を説き、人権について交流のあったチャーチル首相に提言するなど、平和主義者でもあったようだ。現実のウェルズは崇高過ぎてとっつきにくさを感じるが、映画では基本的には現実のキャラクターを残しつつも、親しみがもてるように肉付けされている。

脇を固めるキャラクターも個性が豊かだ。ヒロインのエイミーはウーマンリブベトナム戦争反戦運動に参加した経歴があり、銀行に就職してからも男性に負けないように仕事を熱心にして望んだ地位を獲得するなど、公開当時のフェミニスト女性像を詰め込んだようなキャラ。いまの時代にはかえって珍しいのではないだろうか。最後はウェルズについて19世紀末のロンドンへと向かうが、その行動力で女性史の改変を起こしそうですらある。ちなみに、実際のウェルズも1895年からエイミーという女性と結婚している。エイミーは1927年に亡くなり、ウェルズの最後の妻となっている。この作品が細かなところまで練られているのがわかる。

最後は切り裂きジャックことスティーブンソン。実際の切り裂きジャック1888年に犯行を行っていたので、本作の切り裂きジャックはさらに五年のあいだ凶行を続けていたことになる。いまもって犯人は不明だが、有力者とされている人物のなかには外科医も何人かおり、切り裂きジャックの正体が外科医として描かれることも多いようだ。被害女性には臓器を摘出されている人がいることがこの説を支えている。

チェスでウェルズに負けたことがないなど、スティーブンソンは知能が高く、飛ばされた未来にあっさり順応する柔軟さも持ち合わせている。さらには、兵器の発達で19世紀よりも混沌とした現代を指して、自分はこの世界ではアマチュアだと言う残忍さを持っている。完全にダークサイドに堕ちたスネイプ先生みたいな見た目と性格をしており、着実にウェルズたちを追いつめる様子は、陰惨な殺人鬼切り裂きジャックらしい。ラストはやっちまった感があるが、脚本の都合上仕方ないことにしよう。

この三人以外はほとんど端役扱いだが、十分なほどいいキャラクターをしている。

 

未来に行くならインフレには気を付けろ

タイムトラベルものである本作には、タイムトラベルに関するちょっとしたネタも登場する。

まずはお金のインフレだ。ウェルズはそれなりに裕福な人間だが、家中からかき集めたお金を未来のドルに両替すると25ドルしか残らなかった。基本的には経済成長をすればお金の価値は下がるインフレに状態になる。とくに20世紀は世界的にも革命的な経済成長があったときだ。25ドルでは満足にホテルにも泊まることもできずウェルズは途方に暮れる。貴金属の価値は上がっている場合が多いので、みなさんも未来に行くなら貴金属を持って行こう。

ストーリーに関しては、疑問に思うところもあるが、突飛な設定に引っかかりを感じないくらいに面白い。ウェルズとエイミーが恋に落ちるのも、現代の男に飽き飽きしているエイミーが、見た目は古風なのに先進的な考えを持つウェルズに恋に陥るのも無理はない。ウェルズも自己を持つ未来の女性に惹かれたのだろう。

刑事が与太話をしたウェルズを拘束するまでの流れも映画的で滑らか。そのためにエイミーの同僚は殺される羽目になるが。エイミーを助けるためにウェルズが車の運転を試みるのも、ベタだが良い展開だ。未来に行ったらエイミーの死亡記事が新聞に載っているのもサスペンス感を煽る。

唯一残るモヤモヤが、スティーブンソンの死の偽装だ。ウェルズに彼の死を語った看護師は金でも掴まされていたのだろうか。おそらく、大方そうだろうが、ちょろっと言ってくれればよかった。

 

まとめ

ウェルズ、タイムマシン、切り裂きジャック、ロマンスという様々な要素を詰めながらも、一本の映画としてきっちりとまとまっている作品。古いSFの短編のような奇想天外さは、昨今の映画に見られないもので、いまならかえって新鮮に楽しめるだろう。ちなみに、本作には同年出版の原作があり、原作者が監督と友人のため、アイデアを交換しながら映画と小説を作ったらしい。残念ながら、邦訳はおそらくない。