自分という病

主に映画の感想 たまに変なことも書きます。あらすじは長いです。

映画感想 ボディ・ハント

ボディ・ハント

  (原題:House at the End of the Street)

2012年 101分 アメリ

評価 6.5点/10点満点中

 

 

家は一世一代の買い物。なればこそ理想の家をと思い、土地選びからどのような建物にするかまで頭を悩ます。時間とお金をたっぷりとかけて、ようやく出来上がったマイホーム。これでひと段落かと思いきや、待ち構えているのは隣人トラブル。

日本では騒音おばさんなどが話題になったが、隣人トラブルが原因の事件は絶えず、ときには殺人事件にまで発展する。もちろんそれはアメリカだろうと変わらないだろう。

もしあなたの家の隣家が、凄惨な殺人事件が起きた現場だったら。そして犯人はまだ捕まっておらず、まだその家に人が住んでいるとしたら。

ジェニファー・ローレンス演じる女子高生が母とともに引っ越してきた家の隣には、少女が両親を殺害するという凄惨な事件があった。さらに家には少女の兄が住んでいて。

アカデミー賞女優でもあるジェニファー・ローレンスが、隣家に潜む恐怖と戦うスリラー映画。個人的には凡より少し上、くらいの評価。ミステリー要素もあるが、どんでん返しというわけではない。前中盤は多くの謎が提示されて楽しい反面やや冗長だが、後半は展開が進み面白いので、見ても損はないと思う。

 

 

 

 

 

あらすじ(ネタバレなし)

嵐の夜、青い目の少女が両親の寝室へ向かう。物音に気付いた母親は寝室を出て、部屋に戻って寝るように少女に言う。恐ろしい形相で母を睨みつける少女は、ハンマーで母を何度も殴打する。妻が戻ってこないことを訝しんだ父親が扉のほうを見ると、飛びかかってきた少女に、妻と同じように何度も殴られる。

 

四年後、高校生のエリッサは、母のサラとともにシカゴから小さな街へと越してくる。州立公園に面した大きな家に驚くエリッサ。四年前に少女が両親を殺した家が隣にあるという理由で家賃が安くなったと、サラは言う。片付けもそこそこに森を散歩していたエリッサは、脱ぎ捨てられた衣服を発見して訝しむ。その日の深夜、事件が起きた家に明かりが灯ったのを見て、サラは不安を感じる。

二人は近所のホームパーティーに誘われる。エリッサはそこでタイラーを紹介される。タイラーは、エリッサが通う予定の高校の生徒会長で、飢餓救済集会を主催していると言われるが、彼と会話を交わしたエリッサは、タイラーは不良であると見抜く。

ホームパーティーで、事件があった家の話題があがる。両親を殺したキャリー=アンは事件後逃亡。現在は彼女の兄で、事件当時は伯母と共に暮らしていたライアンが一人で住んでいると、二人は知る。彼女はダムに沈んだと言われているが、まだ森で生きているという都市伝説もあると聞かされ、帰り道でエリッサは森を気にかける。

学校でタイラーに誘われた飢餓救済集会に行ったエリッサだが、集会の実態がただの乱痴気騒ぎだと知る。落胆した彼女は、さらにタイラーから体を迫られたことに怒り集会を抜け出す。

徒歩で帰るエリッサの横に車が止まる。運転手は隣家に住むライアンで、彼は送っていこうかと申し出るが、不信感を抱いたエリッサは断る。しかし、すぐに雨が降り出し、結局は彼の車に乗り込む。車の中で、エリッサはライアンに事件のことを聞く。ライアンは、自分は七歳で伯母のもとに預けられ、両親との思い出は家そのものしかないので引っ越すつもりはないと語る。

家についたエリッサ。連絡がなかったことをサラが注意する。さらに、彼女を家まで送ったのがライアンだと知ったサラは、つよくエリッサを非難する。エリッサはうんざりした顔で、母から離れる。

ライアンが食事をトレイに入れて、地下へと運ぶ。地下室にはカーペットで隠されたさらなる地下室に通じる階段があり、ライアンはそれを下る。鍵のかけた部屋を開けた瞬間、女がライアンに飛びかかる。ライアンは女を取り押さえると、注射を打ちベッドに寝かせる。目の青い女を、ライアンはキャリー=アンと呼び、彼女にエリッサたちのことを話す。こぼれた食事を持って、ライアンは地下を出る。

孤独なライアンに惹かれていくエリッサ。娘を気にかけ、ライアンを探るサラ。地下に閉じ込められたキャリー=アン。そして、四年前の事件に秘められた恐ろしい秘密。

 

 

 

 

 

 

 

感想(ネタバレあり)

ホラーやスリラー映画の導入、三割は引っ越し説

三割は言い過ぎかもしれない。でもけっこうな割合であると思う。本作も主人公親子がシカゴから引っ越してくるのだが、このあたりの理由はぼかされている。父の話やエリッサが母を尻軽(slut)と言っていたこと、母と二人の生活になれないと、などのセリフから察するに、エリッサは父と暮らしていたがなんらかの理由で父は死に、離れていた母と心機一転、郊外で暮らし始める、といったところか。まあ、このあたりは本筋とは関係ないので、二人の間になにかがあってすぐギスギスする、くらいの認識でいい。

結局のところ、キャリー=アンは幼いころに事故で死んでいて、地下に監禁されていたのは、ライアンがさらってきた女性だったわけだ。両親を殺害したキャリー=アンはとっくの昔に死んでいて、本作の悪役は孤独で紳士的な青年。『サイコ』のあいつを彷彿とさせる。

キャリー=アンが事故死してから、ライアンは妹のふりを両親から強要されており、冒頭で両親を殺害していたのもライアン。ライアンは両親を殺したというのに、この家にはキャリー=アンがいなければという強迫観念に憑りつかれて、手ごろな女性を拉致しては、「お前がアンになるんだよ!」と監禁していた。どうやら彼の両親はとんでもないクズ野郎だったようだ。ライアンにキャリー=アンを演じさせていたのは、彼女が事故死していたときにクスリをキめていてからだろう。警察や病院なりに届ければ、それが明るみにでてしまう。キャリー=アンに執着していたから、ライアンに彼女のふりをさせていたわけではなく、娘の死を表沙汰にしたくなかっただけだ。

以上が本作の謎の答えだが、どんでん返しではなくじわじわと明らかになっていくタイプだ。ライアンのウェイトレスを見る表情で、地下に監禁されているのはキャリー=アンではなく、異常なのはライアンだと気が付いた人も多いのではないだろうか。もちろん、キャリー=アンの青い目を印象づけるシーンや、ライアンの妹は事故で脳に障害うんたらの説明も理にはかなっているので、それらの事実は巧妙に隠されている。キャリー=アンの部屋の様子が歳の割に幼いのも、実際にはそれくらいの歳に本人は死んでいたからだ。ライアンの家は機能不全家族で、それの歪みによって生まれたのがライアンというモンスター。作中の描写を見るに、ライアンもエリッサに好意を抱いていたようだが、秘密を知られたからには妹になってもらう道を取るしかなかった。ライアンは異常者ではあるが、エリッサに対する感情はまっとうなところがあるようで、彼の憂いを帯びた不安げな表情は、自分の中の異常と正常に板挟みになってるがゆえのものなのではないだろうか。

しかしながら、いくつか謎が残る。ライアンは七歳から伯母の家に預けられていたという話だったが、実際はそうではなかった。なら、四年前の事件後にキャリー=アンから戻ったライアンが伯母の家に逃げ込んだとして、そのあたりの擦り合わせはどうしたのだろうか? 伯母がライアンの境遇に同情して、彼を両親殺しの罪から逃れるためのストーリーを用意していたのだろうか。また、エリッサがライアンの家でタンポンを見つけたことが、真実の暴露につながるが、これはどこで購入していたのだろう。ライアンは街の有名人だろうから、街で買うことは考えにくい。ただでさえ、男がタンポンを買うのは目立つ。まあ、Amazonを使っていたことにしよう。細かいことばかり気にかかるが、キャリー=アン(ライアン)は学校に通っていなかったのか。通っていたなら、彼女がライアンだということはすぐわかるだろう。アメリカならホームスクールがあるし、あの両親がまともに学校に通わせていたわけがないと思うので、気にするだけ無駄だろう。

 

映画の地下室ってろくなことがないよね

本作のストーリー面に目を向けてみよう。

上記のような多少の気にかかる点はあるものの、巧妙な伏線は視聴者を騙すこともなく配置されている。序盤は謎がちりばめられているのだが、中盤にさしかかるくらいから少し冗長さを感じる。というのも、エリッサとライアンの関係や、バンドなどの日常生活のほうに話がぶれる。それもストーリー上必要な場面なのだが、会話が面白いわけでもないので、どうしても盛り上がりに欠ける。合間に挟まれる、キャリー=アンが逃げる⇨ライアンが捕まえるの下りも、スリリングかと問われればそれほどでもない。

後半に謎がどんどん解けていくのはいいが、エリッサがライアンの真実に気が付くときには、視聴者の多くははそれ以前に彼の行いをわかっているので、エリッサの衝撃と感情が重ならないのも残念。エリッサが気づくシーンは視聴者にとって答え合わせにしかならず、新たな驚きがない。

逃げ出したキャリー=アンが、助けを求めて声を上げなかったのも、映画としてはアンフェアかもしれない。車に乗るカップルや、エリッサが家に来たときなど、声さえ上げれば助かったかもしれない。監禁生活が長く精神的に追い詰められていたとか、エリッサはライアンの共犯だと思っていたなど、理由はいくらかつけられるが、気にかかる人もいると思う。また、ひと捻りでタイラーの足に一生の障害を残したライアンの戦闘力の由来が気にかかる。

個人的なことだが、警察官のビルはライアンとつながってる悪役だと思っていた。だって顔が若いころのジャック・ニコルソンに似てるんだもん。

 

おわかりいただけただろうか

最後にひとつ。ライアンがエリッサに見せた木。そのあとのセリフや、最後にエリッサが見つめていたことなど、本作でも重要な要素でありそうな木。

だが自分には引っかかることがある。

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顔がどこにあるのかわからない。

ライアン曰く顔があり、エリッサも顔を見つけたらしいのだが、自分には顔が見えない。無理やり考えてみたりした。例えば、

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横顔パターン。もしくは、

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正面顔パターン。

自分にはこれが精いっぱいだったが、見つけられた人はいるだろうか?

それとも、最後のエリッサとサラのやり取りから、実は顔なんて見えてなかったのだろうか? 謎は深まるばかりである。

 

 

まとめ

いくつかの疑問点は残るものの、ストーリー自体は巧妙で楽しめる。ただ、若干盛り上がりに欠けるところが欠点。何度も見直すと新たな伏線などが見つかるかもしれないが、リピートして見るほどではないと感じた。初見で注意深く見るのが良い映画だろう。