自分という病

主に映画の感想 たまに変なことも書きます。あらすじは長いです。

映画感想 ザ・ウォード 監禁病棟

『ザ・ウォード 監禁病棟』

  (原題:The Ward)

2010年 89分 アメリ

評価 6.5点/10点満点中

 

13日の金曜日』よりも古いスプラッター映画『ハロウィン』。ゴムマスクを被ったあまりにも無機質な殺人鬼「ブギーマン」が登場する『ハロウィン』は、『13日の金曜日』がスプラッターの金字塔とするなら、スプラッターの元祖とでもいうべき作品だ。低予算で大ヒットを飛ばした監督ジョン・カーペンターが、その3年後に制作した『遊星からの物体X』は、今の時代のVFXにも見劣りしないハイレベルな特撮と、緊張感あふれるストーリーで、ホラー映画の枠を飛び出して評価された作品だ。

名実ともに一流監督のジョン・カーペンターが2010年に公開したのが本作『ザ・ウォード 監禁病棟』だ。精神病院の閉鎖病棟を舞台にして、そこから脱出しようとする女性と彼女を脅かす恐ろしい存在を描く本作。精神科の閉鎖病棟を舞台にした映画は数あるが、本作は急展開を迎えるラストによって一味違った作品になっているのは、さすがのジョン・カーペンターといったところ。一方でそのラストがやや強引なきらいがある。つまらない作品ではないと思うので、サスペンス要素の強いホラーが見たい人にはおススメ。

 

 

 

 

 

 

あらすじ(ネタバレなし)

プロローグ。夜の病院。鍵のかかった個室に入ってる女性が、近づく足音におびえる。足音の主が部屋の前に立つ。そして悲鳴が響き、女性は足音の主に首を折られる。

1966年、女性がなにかから逃げるように森の中を走っている。彼女がたどり着いたのはなんの変哲もない家。彼女は持っていたマッチでカーテンに火を点けると、火はそのまま家中に広がる。駆け付けた警察官によって捕らえられる女性。彼女は激しく抵抗するが、体を拘束されてノースベンド精神病院へと運ばれる。

彼女の名前はクリステン。なぜか彼女は体中にアザがあり、掌にはマジックで文字が書かれている。震える彼女の首を掴んで病棟へ運ぶロイという看護師は、楽園へようこそと呟く。

閉鎖病棟へと連れていかれたクリステンは、そこで婦長へと引き渡される。娯楽室にいる4人の女性を横目に見て、彼女は部屋へと案内される。ブラックボードに書かれたタミーという名前が消され、クリステンが代わりに書かれる。クリステンはそのままベッドで眠る。

寝ている彼女のブランケットを、ベッドの下から伸びる手が奪い取る。目を覚ましたクリステンは、ベッドの下でブランケットと、千切れたブレスレットを見つける。ブレスレットのパーツのいくつかには、アルファベットが彫られている。不審に思いながらも、彼女は再び眠りにつく。

翌朝、床で眠る彼女のもとに担当医のストリンガーがやってくる。クリステンは毛布をとったのは誰かと尋ねるが、ストリンガーも婦長も困惑の表情を浮かべる。婦長から渡された薬を渡されたクリステンは、それを床に落とし踏みつぶす。

娯楽室に向かった彼女は、他の患者たちと対面する。美人のサラ、スケッチブックを持ち歩くアイリス、兎のぬいぐるみを常に抱えるゾーイ、そしてなれなれしいエミリー。エミリーはクリステンを見るなり、私たちを救ってくれるの?と言う。クリステンは奇妙な面々に困惑する。

ストリンガーのカウンセリングを受けるクリステン。彼女は、家に放火したこと以前のことはなにも思い出せないと言う。ストリンガーによると、彼女の掌に書かれていたのは、燃えた家の住所だと言う。問い詰めるストリンガーにクリステンは苛立ち、小さな鏡の裏に隠しカメラがあることを指摘する。驚くストリンガーの目を盗み、クリステンはペーパーナイフを盗む。その夜、薬を飲んだふりをしたクリステンは、ペーパーナイフを使い部屋の鍵を開けると、病棟からの脱出を企てるが、すんでのところでロイに捕まる。クリステンは部屋へと連れ戻される。

クリステンは、鎖につながれた夢を見てうなされる。目を覚ますと、彼女の部屋を覗く人影を見る。

翌日、本格的に他の患者たちと接したクリステン。夜にはサラがレコードをかけてみんなが楽しそうに踊るの見て彼女も微笑む。

シャワーの時間。他の患者たちが出ていき、クリステンひとりになったとき、ゾンビのような姿をした女が現れ、彼女の首を絞める。他の患者たちが駆け付け、看護師たちも駆け付けたときには、女は消えており、クリステンの話を誰も信じない。暴れるクリステンは鎮静剤を打たれると、処置室で電気ショックを受ける。

ストリンガーによる患者全員を集めた面談が行われる。エミリーはそこで、タミーという患者が消えたことを指摘するが、ストリンガーは取り合わない。

アイリスは最後の面談を受けて退院すると言う。退院なんてできるのかと疑問に思うクリステンだが、アイリスは嬉しそうに面談を受けに行く。ストリンガーはアイリスとの面談で、メトロノームを取り出すと、彼女に催眠療法を施す。家を思い出せ、という言うストリンガー。アイリスは深い催眠に落ちていく。場面が変わり、拘束されてどこかに運ばれるアイリス。自分を運んでいる者の顔を見た彼女は悲鳴を上げる。手術室のような場所へ運ばれた彼女は、目の下を医療器具で貫かれて死亡する。

その夜、クリステンはまた夢を見る。彼女は縛られており、開いたドアから男が入ってくる。

翌日、アイリスのことを不審に思ったクリステンは、アイリスの部屋で彼女のスケッチブックを見つける。そこには、クリステンやほかの患者たちのほかに、シャワー室でクリステンを襲った女の絵があり、絵にはアリスと名前が記されている。クリステンは自室に戻ると、ブレスレットのパーツを並び替える。すると、アリスの文字が浮かび上がる。アリスのことをストリンガーやほかの患者たちに問い詰めるが、はっきりした答えは返ってこない。病院からの脱出を新たに決意するクリステンだが、彼女は逃がさないとゾーイが言う。

冒頭のクリステンの放火。消えたタミー。そしてアリス。様々な謎の答えが明らかになるとき、クリステンに残酷な真実が突き付けられる。

 

 

 

 

 

 

 

感想(ネタバレあり)

ミステリーで萎えるのは

アイデンティティー』という映画がある。結構評価が高い作品だが、個人的にはそれほど好きではない。というのも、この作品がミステリーのジャンルでTSUTAYAの棚に並んでおり、自分は作中で起きる超自然的な殺人事件を、ミステリーの面から種明かししてくれると思っていたからだ。詳しくは別映画のネタバレになってしまうので避けるが、ものすごく落胆したことを覚えている。

本作『ザ・ウォード』の結末についても、納得できない人はたくさんいるだろう。クリステンを含む患者たちが全員アリスのトラウマから生み出された別人格で、クリステンたちを追いつめるアリスが、ただ主人格としての立場を取り戻そうとしていただけだった。多重人格というのはミステリーにおいてデウス・エクス・マキナに等しいので、謎解きの面から本作を楽しんでいた人にとってはマイナス点だと思う。クリステンたちがアリスの分裂した人格だというのも、伏線はあったにはあったが丁寧なものではなかった。けっして綺麗なプロットだとはいえない。

一方で、交代人格の面から描いた作品は珍しいのではないだろうか? 『ジキル博士とハイド氏』の時代から、多重人格を描く作品は、主人格が交代人格に乗っ取られる恐怖を描いてきた。本作はまさに真逆をいく。

現代では解離性人格障害と呼ばれる多重人格は、ビリー・ミリガンという犯罪者によって一躍有名になった。ビリーは強姦や強盗の罪で起訴されたが、幼いころに虐待を受けたビリーはストレスにより、人格の分裂を余儀なくされた。アメリカ人のビリーでは到底不可能なイギリス訛りの英語を話す人格が存在するなど、当時の世間を騒がせるには十分すぎるインパクトがあった。やがて治療を始めた彼には「統合人格」というものが現れ、すべての人格をそれに統合することで安定が図られた。

本作に登場するアリスもビリーと似た境遇だ。誘拐と性的暴行によるストレスによって彼女は人格を分裂させた。それを治療により元のアリスの人格ひとつに統合しようとするわけだが、たしかにその治療は他の人格からすれば恐ろしい。人格が消えるというのはすなわち死であり、おそらく主人格のアリスは治療に積極的だっただろうから、他の人格から見れば暴力的だったのだろう。アリスにとっては消えてくれない交代人格たちが怖いし、クリステンたちには自分たちを消そうとするアリスが怖い。多重人格とその治療が持つ二面性をうまく利用したことは評価したい。

クリステンが突然生まれたとストリンガーが話していたが、彼女はおそらく他の人格を守るために生まれたのだろう。クリステンはやたらに庇護的だったし、他の人格が諦めていた脱出を最後まで諦めない。エミリーに、私たちを救いに来たの?と言われるなど、ひるがえって言えば、アリスにとってクリステンこそが最後の敵というわけだ。

 

精神病院はコワイトコジャナイヨ

本作の時代設定が1966年ということで、かなり偏見のある精神病院がでてくる。患者への治療に電気ショックが使われたり、暴力的な手段で患者を連れ戻したりするなど、『カッコーの巣の上で』にかなり近い。ステレオタイプともとれる古い時代の精神病院の描写が、恐ろしいアリスの造形と相まって恐怖を駆り立てるのだが、この精神病院の描写も見事なミスリード?だ。不敵な存在だったストリンガーは、患者のことを考え、この時代には先進的な治療を進める優秀な医師だ。暴力の象徴であったロイも、アリスには優しい看護師だった。精神病院、それも隔離病棟となれば視聴者は恐ろしい場所という先入観を持つだろう。本作のトリックはそこにもあったわけである。本当は恐ろしい精神病院などなかった。電気ショックについても、看護師たちが「いまどき」と言っているし、ノースベンド精神病院は時代を考えればかなり進んでいた病院だ。

 

実は〇〇アリスちゃん

たびたびクリステンたちを襲うアリスだが、彼女はどうしてあれほど恐ろしい顔をしていたのだろう。ゾーイたちの記憶のアリスも、ヤンママみたいな顔をしていたし。だが最後に人格が戻ったときには、なかなか綺麗なお顔立ちをしていた。サウザーもびっくりな険の取れ方だ。そして最後に洗面棚に入っていたクリステン。こちらはシュウに聖帝十字陵のてっぺんを運ばせたときのサウザーのような顔をしている。

まあ、お互いの人格からはそれほど恐ろしいということなのだろうが、それにしてもアリスの顔はほとんどゾンビである。あの顔だと怖いよりもグロいが先行してしまうのが残念だ。それと、エミリーたちが殺したはずのアリスの人格はどうやって復活したのだろうか? ストリンガーの頑張りか。

まだある疑問として、サラやエミリーを簡単に殺せたアリスは、なぜさっさとそうしなかったのだろうか? 対抗人格であるクリステンはともかく、他の人格はあっさり消せそうなのに。それを言っては映画にならないが。

 

 

まとめ

粗が多いうえ、結末には納得できない人も多いだろうが、多重人格、精神病院を舞台にした作品群の中では高い完成度を持つ本作。さすがのカーペンターといったところだ。

恐怖演出も古典的ながら、それが退屈になることはなく、時代背景に合わせた質感の古い映像、いきなり謎をポンと放り込んで視聴者を引き付ける。もちろん、『ハロウィン』や『遊星からの物体X』とは比べ物にならないが、多重人格というグダグダになる題材をうまく扱った作品と言える。

 

 

余談

本作のWikipedia日本語版のページでは、興行収入が$7,760となっているが、なにかの間違いだろう。

一応、英語版のほうでは$1.2 millionとなっている。製作費が$10 millionなので大爆死なのは間違いないが。