自分という病

主に映画の感想 たまに変なことも書きます。あらすじは長いです。

映画感想 ババドック 暗闇の魔物

『ババドック 暗闇の魔物』

  (原題:The Babadook)

2014年 オーストラリア 93分

評価7点/10点満点中

 

子育てというのは喜びに満ちているもの。しかし、親がみんな幸せに子育てをしているかといえばそうではなくて、だからこそネグレクトや虐待がいつの時代も発生する。とくにシングルマザーの子育ては精神面、体力面、経済面で大変だろう(シングルファザーも同様)。全然映画の話にいかねえなと思われるかもしれないが、『ババドック』はまさしく子育ての苦難を描いた映画なのである。ちなみにジャンルはホラー。

 

 

 

 

 

 

あらすじ(ネタバレなし)

シングルマザーのアメリアは息子サミュエルの奇行に悩まされている。六歳になる息子は、自作の武器を造っては物を壊す。彼曰く、怪物を倒してママを守るのだ、ということ。ついにサミュエルは自作のボウガンを教室で撃ち、アメリアが学校に呼び出される。学校側はサミュエルに特別な措置をしようとするが、あくまで普通に扱うことを望むアメリアと衝突。結果、サミュエルは学校をやめることに。アメリアはサミュエルの言動に疲弊していく。

ある夜、サミュエルが読んでほしいと一冊の本を差し出す。それは「ババドック」という怪物について書かれた本だった。黒づくめのババドックはその存在を否定すればするほど強大になり、彼の姿を見たものはあまりの恐ろしさに自ら死を望むようになるという。この絵本を持っていた覚えがないこと、さらに内容のあまりの不気味さにサミュエルは泣きだしアメリアも恐怖を覚える。

その夜以来、サミュエルは「ババドック」のことを頻繁に口にし、「ババドック」と戦うためとして彼の奇行が加速していく。アメリアも精神的に不安定になり、それはサミュエルが従妹と口論の末、彼女を突き落とし怪我をさせたことで頂点に達する。さらに破り捨てた「ババドック」の絵本が修繕されて帰ってくる。しかもただの帰ってきただけでなく、アメリアが飼い犬のバグジー、そしてサミュエルを殺し遂には自殺を遂げる内容に変わっていた。そしてついにアメリアも「ババドック」の存在を感じるようになり、彼女は追いつめられていく。

 

 

 

 

 

 感想と解説(ネタバレあり)

「ババドック」は存在する?

この作品に「ババドック」は出てきません。というとさすがに語弊があるが、実際に「ババドック」は姿のある存在としてほとんどでてこない。登場する絵本では、黒いハットとコートを身にまとい大きな爪をもったギョロ目の人型として描かれているのだが、親子を襲う「ババドック」の姿は、ワンシーンで暗闇からハットとコートが現れ、コートの袖口から爪を伸ばす様子だけが見られる。それ以外の場面では、どうも見えない力として襲ってきたり、登場人物には見えているが視聴者には見えない、という演出が取られている。そこで思うのが、果たして「ババドック」は存在するのだろうか、という疑問だ。「ババドック」は精神的に追い詰められたアメリアや奇行癖のある幼いサミュエルの生み出した妄想なのではないのか? 

結論として、「ババドック」は妄想などではなく確かに存在する怪物だと思う。親子は襲われているわけだし、サイコキネシス的な力も使ってくるのであるから、それが全部親子の妄想でした~となれば、あるべき種明かしがない。それはあまりにも投げやりだし、ホラー映画として視聴者を馬鹿にしている。実は主人公の妄想でした系ホラーは種明かしがあるから面白いのだ。

ただし、「ババドック」がホラー映画でも特に変わった種類の怪物なのは確かだ。ホラー映画には回りくどい方法で恐怖をあおる怪物やら幽霊はたくさんいるが、「ババドック」はそのタイプの極致といえる。恐ろしい絵本を送りつけてくるのはもちろん、ストーカーの家元を名乗れそうな種々の方法で主人公を追いつめるのだ。たとえばアメリアが警察署に駆け込むと、黒いハットとコートがかかっているのが見えたり。

この映画でなによりも恐ろしいのは「ババドック」ではなく、追いつめられて精神的に変容していくアメリアだ。子を思う母親だった彼女が、ついには包丁片手に息子を襲う。まだ六歳の息子を罵り、殺意を持って追いかける。鬼気迫るその姿は並大抵のホラー映画のモンスターよりも恐ろしい。そしてそれこそが「ババドック」の狙いだ。ここに見えるのは「ババドック」がうつ病と密接に関係する、もしくはメタファー的な存在だということだ。

 

あなたの中にも「ババドック」

「ババドック」の特徴の一つに、存在を否定すればするほど強大になるというのがある。作中でもアメリアは「ババドック」の存在を否定するのだが、彼女が否定しているのものは他にもあるのだ。

一つ目はサミュエルが特殊な子、だということ。サミュエルは明らかに普通の子ではない。窓ガラスを割れるカタパルトを作ったり、人に刺さるボウガンを作ったり、また情緒も行動も不安定だ。もしかしたら発達障害ADHDなどかもしれない。そういった子供たちには、少し差別的に聞こえるかもしれないが、やはり普通とは違う扱い方、教育を施さなければならない。そうした方法こそが、当事者や家族にとってもストレスがなく、普通とは違う子供たちの可能性を大きく広げることができる。しかしアメリアはあくまでも普通の扱いを学校に要求する。そして普通であることをサミュエルにも要求する。それが彼女の理想なのであり、彼女は現実のサミュエルを否定するのだ。

二つ目は自身の神経衰弱。特殊な子のサミュエルを持て余している彼女は、作品の冒頭から悪夢に悩まされるなど精神的に弱っている。サミュエルが奇行を重ねれば重ねるほど彼女はそれを正そうと徒労を重ねて疲れていく。学校に行かなくなったサミュエルを心配して地域サービスがやってきても、同僚の親しい男性にも彼女は助けを求めない。倒れたサミュエルを病院に連れて行った際、精神科を紹介してもらえることになるのだが、医師の顔はお前も行ったほうがいいだろ、という表情をしている。

明らかにアメリアはうつ病だ。うつ病の当事者は、自分がうつ病に罹っていることを否定する傾向にある。自分は少し疲れているだけで、うつ病などではない。それは強い責任感ゆえに、自分が抱えている問題をうつ病によって放り出したくないからだろう。本来ならば、サミュエルのことでもっと周りの人に打ち明けて頼るべきだし、彼女自身のことでも助けを求めるべきだ。

うつ病であることを否定し治療を遅らせると(今でも日本では精神科に抵抗がある人が多いだろう)、うつ病はひどくなる一方だ。「ババドック」とまさに同じだ。

アメリアが否定していることの最後の一つは複雑だ。彼女の夫は、アメリアのお産に駆け付ける途中で交通事故にあい亡くなっている。つまりサミュエルの誕生日は夫の命日なのだ。だからサミュエルは誕生日当日にお祝いされず、日が近い従妹と合同で誕生日会をする。アメリアは心のどこかで思っていたはずだ。こんな息子のために最愛の夫が死んでしまったと。親として、その思いを否定していたが、否定すればするほどその思いは強くなる。そして神経がすり減った彼女は、「ババドック」の絵本通りに息子に刃を向けるのだ。

うつ病にかかりやすいのは完璧主義で責任感が強く、優しい人だという。だが完璧な人間はいないし、一個人の抱えられる責任は有限で、人は常に優しくいられるわけではない。「こうあらねばならない」の理想と現実のギャップに苦しみ、現実の否定に走ることがうつ病への第一歩だ。「ババドック」の絵本には対処法も書かれている。それはありのままを受容することこそが、「ババドック」に打ち勝つ方法なのだと。現実の自分を受け入れ、自分が弱く人に頼って甘えなければ生きていけないということを認識するのが、うつ病寛解する第一歩だ。どうだろう、まさしく「ババドック」と同じなのだ。もっとも、頼る人がいないことが現実社会では問題となっているのだが。

映画の前半だけを見れば、視聴者はサミュエルを不気味だと思うだろう。奇行を繰り返し、妄想の怪物と戦う。見た目もやせっぽちで肌は青白く、大きな目がぐりぐりと動く。だが物語が進むにつれて、髪は乱れ見るからやつれたアメリアのほうが恐ろしい。クライマックスで視聴者は気が付くはずだ。サミュエルは特殊だが異常な子ではなく、彼は死んだ父の代わりに大切な母親を守りたいと思い、自分なりのやり方で母親を苦しめるものから彼女を守ろうとしていた心の優しい少年ということに。

アメリアも最後にはそれに気が付き、頼るべき相手がずっとそばにいたこと、息子の行動の意味、そして息子には最愛の夫に似たところがあることを知る。そうしてババドックに打ち勝つのだ。

この映画をエンタメホラー映画として見た人はきっと拍子抜けすると思うし、自分もそうだった。しかし感想を書くにあたり、子育て、シングルの親たちの苦労、うつ病といったものを交えてこの映画を見れば、まったく違った側面に気が付くことができる。とくにうつ病に関してはよく描けていると思う。物語の最後、なぜアメリアは「ババドック」を飼っているのか疑問に思った人も多いと思う。実はうつ病は治らない病と言われている。うつ病は完治するとは言わず寛解すると言う。寛解とは完治はしていないが症状が一時的、ないしは永続的に軽減か消失している状態を指す。うつ病は再発率が高く、うつ病に起因する自殺は世界の死因でもトップクラスに位置する。うつ病になった人は、生涯この病と向き合って、再び暴れださないように飼いならさなければならない。まさしく「ババドック」に餌を与えるシーンは、うつ病との付き合い方なのだ。

演技の面から言うと、サミュエル役の子はすごくよかった。奇行をしながらも、芯には強い心をもつ少年を見事に演じていたと思う。

残念な面は感情移入の難しさだ。ともかく前半に親子の楽しいシーンがないのだ。アメリアが息子を愛しているのはわかるが、どうしても毒親のように見えてしまうし、彼女の苦悩、とくに亡き夫に関することはあまりにも情報が断片的なのだ。自然とキャラの感情が入ってくるというよりは、見ながらもキャラの感情を視聴者が能動的に追わなければならない。そうしないとアメリアは情緒不安定な母親で、サミュエルはうざい子という感想に終始してしまうかもしれない。考えながら見るので、鑑賞して疲れる映画ではあるだろう。かといって漫然として見れば、ホラー要素が弱いので、つまらなく感じてしまう。

 

まとめ

「ババドック」という怪物を使い、一人の女性の苦悩を見事に描いた作品だと思う。うつ病のメタファーとしての「ババドック」は非常によくできている。そのためにホラーというよりは心理サスペンス、ドラマとしての側面が強くなりすぎて、ホラーの土俵では評価されづらいと思う。つまらないと思った人は、一度視点を変えて本作を見てほしい。また、あなたの中に「ババドック」がいないかを、周囲に「ババドック」に苦しんでいる人がいないかを注意してほしい。