自分という病

主に映画の感想 たまに変なことも書きます。あらすじは長いです。

映画感想 キャンディマン

『キャンディマン』

  (原題:Candyman)

1992年 101分 アメリ

評価 7点/10点満点中

 

 

以前、都市伝説を基にしたホラー映画『ルール』を取り上げた。『ルール』の中で登場した都市伝説のひとつに、「ブラッディ・マリー」がある。鏡の前で「ブラッディ・マリー」と三度唱えると、鏡に血塗れの女が映り襲ってくるというものだ。合わせ鏡には幽霊が映るなど、鏡にまつわる怖い話は多い。ホラーでも幽霊や殺人鬼が映り込む場所として、お馴染みの装置でもある。

本作も鏡にまつわる都市伝説がテーマだ。鏡に向かって「キャンディマン」と五回言うと、切り落とされた右手にフックをつけた男が現れ、そのフックで殺される。これが「キャンディマン」の都市伝説の概要。手にフックというと『ピーターパン』のフック船長を思い出すが、『キャンディマン』にはピーターパンはいない。

「キャンディマン」を論文にしようと調査を始めた主人公が、友人とふざけて鏡の前でキャンディマンの名前を呼ぶ。彼女はキャンディマンの恐怖に襲われる。

都市伝説ホラーのひとつでシリーズ化もされた本作。派手なホラーではないが、主人公が追いつめられていく様子はよく描かれている。虫がたくさんでてくるので、苦手は人は視聴に注意。

 

 

 

 

 

あらすじ(ネタバレなし)

大学院生のヘレンは、論文を書くために都市伝説を調査している。他の学生からの聞き取り調査で、彼女は「キャンディマン」を知る。鏡に向かって「キャンディマン」の名前を五回言うと、キャンディマンが現れて、呼んだものは殺されるのだという。

ヘレンはさらに、大学の清掃員である黒人女性のキティからもキャンディマンの話を聞く。キティが住んでいるのはカブリーニ・グリーンという治安が悪い公営団地で、そこでキャンディマンによる殺人があったのだという。殺されたのはルーシー・ジーンという女性で、ヘレンは新聞でルーシーが実際に殺されたことを知る。

ヘレンは自宅でキャンディマンとルーシーのことを、同じ院生で友人のバーナデットに話す。さらに彼女は、自宅アパートがカブリーニ・グリーン団地と同じ公団が建てもので、構造が同じであることを明かす。ヘレンが浴室の鏡を外すと、空き家である隣家につながった穴が現れる。ヘレンは、ルーシーはこの抜け穴を通った殺人鬼に殺されたのだろうと推理する。鏡を戻したヘレンとバーナデットは、ふざけてキャンディマンの名前を呼ぶ。バーナデットは五回目を言わず、ヘレンだけがキャンディマンの名前を五回唱える。その夜、ヘレンは物音で目を覚ます。すると、夫でヘレンが通う大学の教授であるトレバーが彼女に飛びかかる。驚いたヘレンだが、そのまま彼と二人で眠る。

「キャンディマン」の調査のために、ヘレンはバーナデットをともなって、ガブリーニ団地へと向かう。治安が悪い団地には、黒人の若者がうろついている。刑事のふりをして彼らをかわし、ルーシーが殺された部屋に着いた二人。ヘレンは内部の写真を撮り、鏡の裏が隣の部屋につながっていることを確かめる。抜け穴を通って隣の部屋に入ったヘレンは、さらに開いている穴を通る。穴の開いた壁には巨大な黒人男性の絵が描かれており、穴がある部分が大きく開いた口になっている。ヘレンは地面に置かれたキャンディを見つける。その中のひとつを開くと、中に剃刀の刃が入っている。

帰ろうとするふたりは、団地に住んでいる女性マリーに見つかる。彼女の部屋に案内されたふたりは、そこでマリーの赤ん坊を見る。白人が来るとよくないことが起きると、マリーは語る。マリーはルーシーの事件の日のことを話す。悲鳴を聞いた彼女は、警察に通報したが、誰もがキャンディマンを恐れて助けに来なかったと言う。

トレバーや大学教授たちと食事をしているヘレンは、かつてキャンディマンの論文を書いた教授から、キャンディマンの話を聞く。

伝説は1890年代にさかのぼキャンディマンの父は奴隷だったが、南北戦争後に事業で成功して富を築いた。彼は黒人ながら上流の社会で育ち、生まれ持った才能で画家になった。あるとき、彼は地主に依頼されて地主の娘の肖像画を描くことになる。そこで彼は地主の娘と恋に落ち、娘は彼の子を妊娠する。地主は怒り、ごろつきを雇ってキャンディマンをいまのガブリーニ団地がある場所まで追いつめる。そこで彼は右腕を切り落とされたうえ、近くにあった養蜂場から盗んだ蜂蜜を体に刷り込まれた。彼は全身を蜂に刺されて絶命し、遺体は燃やされた。

ふたたびマリーを訪ねるヘレンだが、彼女は留守だと、団地に住む少年のジェイクから聞く。ヘレンはルーシーの事件について尋ねるが、キャンディマンに殺されるからと彼は答えるのを拒否する。ヘレンの説得のすえ、ジェイクは彼女をキャンディマンのいるところへと案内する。その途中、ヘレンは積み上げられたガラクタの山を見る。

ジェイクに案内されたのは公衆トイレで、ここで男の子が殺されたのだという。ジェイクによると、男の子は性器を切り取られていた。トイレに入ったヘレンが撮影を終えて出ようとすると、黒人の男たちが現れる。リーダーの男はキャンディマンを名乗ると、持っていたフックでヘレンを殴る。

傷を負ったヘレンだが、彼女を襲った犯人は捕まる。傷もほとんど癒えたヘレンは、大学でバーナデットから撮影していた写真のネガを受け取る。彼女が車に乗り込もうとしたとき、黒いコートを着た長身の男が彼女の名前を呼ぶ。ヘレンは無視して車に乗り込もうとするが、男が名前を呼ぶたびに団地で見た絵を思い出し、彼女の体から力が抜ける。近づいてくる男は言う。

「お前は俺の伝説を疑った。だから来たのだ。お前の命をもらう」

「人々が俺を恐れることで、俺は存在する。だから俺は罪なき者の血を流す」

「俺とこい」

近づく男の右手にはフックがつけられていて、それを見たヘレンは気を失う。

彼女は血塗れの浴室で目を覚ます。そこはマリーの家で、リビングに入ると、彼女が飼っていた犬が首をはねられて死んでいる。とっさに包丁を手に取るヘレン。マリーは彼女の姿をみとめると、ヘレンが赤ん坊をさらったと思い襲いかかる。押し倒された彼女は反撃してマリーの腕を切りつける。そこに警察が現れて二人は取り押さえられる。

警察に連行されたヘレンは、誘拐の罪で逮捕される。

謎の男キャンディマン。彼の呪いがヘレンを襲う。そして、ヘレンには恐るべき運命が待ち受ける。

 

 

 

 

 

 

感想(ネタバレあり)

飴ちゃんはくれない

懐から無尽蔵に飴を取り出し、他人に分け与えるキャンディウーマンなら関西圏にたくさんいる。残念ながら、本作のキャンディマンは飴をくれない。というか、なぜ名前がキャンディマンなのかがわからない。キャンディがでてきたのは一度だけだし、中身は剃刀の刃だったし。可愛らしい名前がかえって恐ろしいという効果を狙ったのか。

キャンディマンの正体は、差別が残る時代に白人女性と恋に落ちたがために殺された黒人男性。無念の死を遂げた彼は怨霊となって恐怖をばら撒く。人々の恐怖がより存在を強固にするというのは、『エルム街の悪夢』のフレディに似ている。たしかに忘れ去られると、誰もキャンディマンを呼ばなくなる。ちなみに、キャンディマンと呼ばれた実在の殺人鬼がいる。ディーン・コールという男で、飴をつかい子どもを誘い、三十人近い子どもを殺した凶悪な殺人鬼だ。

キャンディマンが鏡を通してやってくる理由は不明だ。やはりブラッディ・メアリーの伝説が着想のもとなのだろうか。右手にフックをつけた理由とか、蜂に全身を刺されて絶命したとか、よくわからない肉付けがされたキャラクターである。蜂がうごめく絵面はたしかに気持ち悪さがある。

ストーリーを最後まで見ても、謎の多いキャラクターだ。ガブリーニ団地に住む黒人の人々は、キャンディマンをただ恐れるだけでなく、どこか崇拝に近い感情をもっている節がある。事実、彼らがヘレンの墓にフックを届けたことで、ヘレンは新たなキャンディマンとなって、トレバーを殺害している。彼らは自分たちの行動によって、キャンディマンが復活することをわかっていたのではないだろうか。だからわざわざ長蛇の列を作り、フックをヘレンに届けた。ただマリーの息子アンソニーを助けたことへのお礼にしては、あれほどの大人数で来ないだろう。

ただ、キャンディマンが黒人の守り神かと言えば疑問がある。ルーシー・ジーンはおそらく黒人だし、公衆トイレで殺された子どもも黒人だ。ただし、後者はヘレンを襲ったギャングがキャンディマンを模倣してやったのかもしれない。

本作では貧困層の黒人たちに対する差別がちょこちょこ描かれている。白人に殺され、恐怖となって甦ったキャンディマンは、団地の住人にとって、白人へのカウンター・カルチャーだったのかもしれない。

もうひとつちなみに、カブリーニ・グリーン団地は実在した。シカゴ市主導で建設された公営団地で、ピーク時には一万五千人が住んでいた。しかし、団地はやがてスラムの様相を呈し、市も管理を放棄して、とうとう取り壊されるようになった。2011年に完全に取り壊しが終わったようだ。本作は実際のカブリーニ団地で撮影されている。

 

不器用な男、キャンディマン

ほかの登場人物をあっさりと殺していくなか、キャンディマンはなぜヘレンの命をなかなか奪わなかったのか。目的がなかなかわからない。

白人が来るとよくないことが起きる。これはマリーのセリフだ。もちろん、白人というのは警察官や行政が来てトラブルを起こすという意味もあるのだろが、キャンディマンが白人の女性を探していることを示唆している。

壁の絵にあったように、キャンディマンが生前愛した女性は白人だった。しかもやたらとヘレンに似ている。もしかすると、ヘレンはその女性の生まれ変わりだったのかもしれない。キャンディマンは生前の恋人にそっくりなヘレンを見つけてウキウキした。初めて会ったときには、殺す的なことを言っていたが、実際には彼女を手に入れたかったのだ。後半の彼のセリフにはそれが顕著にでている。だが、ただ殺すだけでは一緒にはなれないのだろう。キャンディマン自身がやられたように、カブリーニの土地で大きな火に燃やされなければ、不死の都市伝説にはなれないのだ。

そこでキャンディマンはあの手この手で彼女を追いつめて、さらっていたアンソニーを使って彼女をがらくたの山へと誘導する。そこで住民たちは火をつけ始める。ジェイクが見たフックが、キャンディマンからの合図だったのだろう。もっとも、彼らはアンソニーとヘレンが中にいることは知らなかったようだが。

燃えるガラクタの山の中で、とうとうキャンディマンはヘレンを捕まえる。アンソニーを恋人が妊娠していた子どもになぞらえて、「家族になろうよ」と陰湿な福山雅治と化したキャンディマンだが、さすがに蜂が詰まった口でキスしてくるような男は嫌だったヘレンの反撃にあい、彼は炎の中で力尽きる。なんとか火から脱出したヘレンだが、彼女も結局死亡してしまい、キャンディマンが望んだのと別の形で儀式は完了。無事、ヘレンはニュー・キャンディマンになってしまう。

まるで男子小学生のようなキャンディマンだが、彼なりの純情ではあったようだ。生前の彼もかなりひどい目に遭っていたようだし。ある意味悲劇のキャラクターだが、バーナデットを殺したらヘレンには嫌われるだろう。実に不器用で独占欲の強い男だ。

 

 

まとめ

近年ではバイバイマンやスレンダーマンなど、なんとかマンのホラーが生まれてきているが、出来を比べてもキャンディマンは頭三つは抜けているだろう。本作によって「キャンディマン」という新たな都市伝説が生まれそうなくらいだ。

キャンディマンの不気味さや、他のホラーヴィランとは一線を画した振る舞いはよかったのだが、ストーリー全体を見てもパンチが少ないように感じる。キャンディマンも恐怖の対象というよりは、なにをしたいのかわからない奴という印象が強い。単純なホラーとして見たとき、本作はそれほど怖くはないのが欠点。ただ、繰り返しになるがキャンディマンのキャラは良い。