自分という病

主に映画の感想 たまに変なことも書きます。あらすじは長いです。

映画感想 オーロラ 消えた難破船

『オーロラ 消えた難破船』

  (原題:AUROLRA)

2018年 98分 フィリピン

評価 6.5点/10点満点中

 

船の旅というと豪華客船など優雅なものを想像するが、海はけっして優しい場所ではない。船は古くから移動手段として使われてきたが、きっと目的地の土を踏めた人より、海に没した人のほうが多いだろう。

時代を経て船が進化しても、海難事故は無くならない。映画化もされたタイタニック号。青森・函館間という短い距離ながら、台風により沈没して千名以上の犠牲者を出した洞爺丸。近年では韓国で起きたセウォル号事故が記憶に新しい。修学旅行中の高校生や救助にあたったダイバーを含む三百人以上の人々が犠牲となった。沈没する船のなかで涙を流しながら怯える生徒の映像や、家族に送られた最後のメッセージなどは、胸に応えるものがある。この事件では乗組員が乗客の避難誘導を放棄し、自分たちだけが逃げたことが非難され、さらには原因が荷物の過積載にあることがわかると、多くの韓国民の怒りに火がついた。どれだけ技術が進もうとも、人災は起きてしまうものである。

本作はフィリピンで制作され、Netflixで配信している。主人公のリアナが営む宿の前の海には、オーロラ号が岩礁に横たわっている。まだ行方不明者が残る中、捜索は打ち切られてしまう。それから、リアナの周りに不思議なことが起き始める。

超常現象が起こるが、ホラーではなくサスペンスやミステリーに近い印象。無難な作りでこれといった瑕疵はないが、やや盛り上がりに欠ける。落ち着いた雰囲気の映画が好きな人にははまるかもしれない。

 

 

 

 

あらすじ(ネタバレなし)

フィリピンの小さな離島の海岸に立つリアナ。彼女の視線の先、穏やかな海の岩礁には巨大な船「オーロラ号」が横たわっている。リアナは船に向かって「どこかへ行って」と呟く。

リアナが営む海岸の宿は、座礁事故の行方不明者の遺体を探すための捜索の拠点になっている。その日、沿岸警備隊は遺体をほぼ見つけたことを理由に、遺体の捜索の打ち切りを宣言する。憤る遺族たちが抗議するが、沿岸警備隊は決定を変えない。座礁事故の影響により、観光業が盛んな島の経済は大打撃を受けており、リアナの宿も経営の危機にある。さらに遺族も島を離れることになり、宿の収入は絶たれる。翌日、遺族が宿を去る。遺族の一人、アマドは、海岸で摘んだ花をボートの上で海へと投げる。

つぎつぎと遺族が去るなか、娘を亡くしたカストロ夫妻が、ひと月の間、見つかっていない人々の写真が貼られた捜索本部を残してくれと言う。夫妻曰く、潮の流れが変わってきており、嵐が来れば岩礁や船体に引っかかっている遺体が打ち上げられるかもしれないとのこと。カストロ夫妻は遺体ひとつにつき五万ペソ(十万円強)を払うことを条件にだす。経済的に不安があったリアナは、妹リタのためにそれを了承する。

とうとう最後の遺族が去る。宿で働いていたデリアもマニラでの新しい仕事のために島を離れる。彼女になついていたリタは寂しがる。海を見つめるリアナのもとに、沿岸警備隊がやってくる。彼らはリアナにすでに打ち上げられた遺体の写真を見せる。次々と提示される写真に、リアナはなぜ写真を見せるのかと問うが、警備隊は捜索は君の仕事じゃないと言い、さらには「オーロラ号」には接近禁止だと告げる。

その夜、海中にいる人々が自分を見上げている夢を見る。目を覚ましたかと思うと、足元に濡れたシーツで呼吸ができなくなっている二つの人影を見る。落ちたシーツから覗いた顔は蒼白で白目をむいている。今度こそ目を覚ましたリアナは、それが自分の死んだ両親だと気が付く。

リアナはリタと島の中心部へと向かう。しかし多くの商店が売り家となっており、活気はなくなっている。リアナは釣具店を営むリッキーという青年を訪ねる。「オーロラ号」から流出した重油により釣りはできなくなったため、リッキーも店を畳む予定だと言う。彼は一緒に島の外で暮らそうとリアナを誘うが、彼女は宿のために残ると言い断る。その会話のなかで、店にいるフィリップが、座礁事故の生き残りであることをリアナは知る。リアナはリッキーから双眼鏡を買い、宿に戻る。

次の日の早朝、リタが双眼鏡を覗いて、帰ってきたと言う。リアはリアナを起こそうとするが姉は起きず、一人で外に向かう。少しして起きたリアナはリタがいないことに気がつき、慌てて玄関の戸をあける。雨のなかリタが海岸から拾ってきたのは、アマドが海に投げた花だった。天気が回復し、花を乾かすリタの後ろで、リアナがなにげなく双眼鏡で海を覗く。すると海面に人の顔が浮いている。一度双眼鏡から目を離して、再び覗くと、顔のように見えたのはゴミだった。双眼鏡を岩礁に向けたリアナは、岩に立つ男を目撃する。リアナはその男を写真で探すが見つからない。

リアナはボートを所持するエディーに取引を持ち掛ける。彼にボートでオーロラ号の近くを捜索をしてもらい、燃料代と食料は保証すると条件を提示する。この近辺の海を知り尽くしているというエディーは、カストロ夫妻からの報酬を折半することで取引を承諾。エディーは、リタの世話役になる妻のセシルを連れてくる。そして、エディーが遺体を捜索し、リアナが彼の様子を見守る。途中、言いつけを守らず家を抜け出してやって来たリタを、リアナは厳しく叱責する。その日の収穫はなく、リアナはリタに昼間の態度を詫びる。すると、リタはエディーが遺体を探していることを知っていると話し、さらには、みんなお家に帰りたがっているとも言う。

翌日、雨が降りリアナは捜索の中止を決める。エディーたちのことで姉妹は口論する。すねて二階に上ったリタを追いかけてリアナが階段を上ろうとすると、階段の前には亡き父の靴が並べられていた。訝しむリアナが物音のする部屋に近づき扉を開けると、中では蒼白になった全裸の男が震えていた。リタが背後から話しかけてきて、気がつけば男は消えていた。リアナは二階への立ち入りを禁止する。

夜、捜索本部となっていた部屋の窓が割れた。物音で起きたリアナは、クローゼットを動かして穴をふさぐが、窓の外から伸びた手がクローゼットをどかし、中に入る。そして、様々な超常現象が姉妹を襲う。

 

 

 

 

 

 

 

感想(ネタバレあり)

浮くは船、沈むは人間

前置きでセウォル号事件の話をしたが、船の引き上げをしたにも関わらずセウォル号での犠牲者にはまだ遺体が見つかっていない人がいる。東日本大震災でも津波にさらわれ遺体が見つかっていない人もおり、やはり海での遺体の捜索は難しいのだろう。

本作はサスペンス・スリラーとしての一面もありながら、フィリピンでの海難事故の現実を描いた社会派としての側面を見える。フィリピンでは1987年に、ドニャ・パス号という貨客船が事故を起こしているのだが、定員千五百名弱の船に四千人以上が実際には乗船しており、はじめ死者は千五百名前後だったのだが、のちに四千三百名以上に訂正された。大小さまざまな島があるフィリピンでは船を交通手段として使う人が多いのだろう。そして「名もない」乗客を、運航会社も当局も利益のために見て見ぬふりをするのが常態化しているのではないか。

作中でも、沿岸警備隊がオーロラ号の過積載を見逃していたこと、それが発覚することを恐れて遺体の捜索を打ち切ったことを、リアナが指摘している。過積載は事故の直接の原因ではないが、遺体の捜索を妨げるものだった。上記のドニャ・パス号の件でも、乗船リストに名前があった死者の遺族には補償があったそうだが、リストに載っていなかった三千名以上の死者の遺族には補償がなかったらしい。正規の料金を払っているにも関わらず、運航会社の利益追求のために遺体も名前もなかったことにされた人々。本作のオーロラ号のモデルとなったのは、上記のドニャ・パス号かもしれない。

 

帰りたい人と帰りたくない人

オーロラ号の座礁事故は、故郷に帰りたくなかったベンジャミンという巨人症の青年の亡霊が引き起こしたものだった。病気のせいでいじめにあい故郷を追われることになった青年は、死してなお故郷を見たくなかったようだ。直接は語られていないが、作中の描写によると、彼の父親もベンジャミンにきつく当たっていたようだ。病気になったベンジャミンを叩く、彼の死体を見世物にするなど、彼は家族とも会いたくなかった。

だからといって船を座礁させるのはやり過ぎな気もする。本作のストーリーで残念なのは、事故の原因がベンジャミンにあるというところだ。たしかに彼の登場によって恐怖要素は増えたが、本作はホラー映画としては実に中途半端である。それなら、単純に運航会社の不備によるものとしたほうがよかったと思う。というのも、ベンジャミンが悲惨な人生を考えると、事故を起こして多くの人を道連れにしたというにも関わらず、彼を同情的に見てしまう。一方で、ベンジャミンの行いは明らかにやり過ぎで、彼もまた犠牲者である、という視点で見るには厳しい。リアナが過積載について沿岸警備隊を責めるが、過積載は死者が増えた原因ではあるものの、事故の原因ではない。こうなってしまうと、見ている側としても怒りの対象がぼやけてしまい、作品を分析的に見ることができても、感情移入をするのは難しいのではないか。

死者たちがリアナのもとに現れたのは、彼らが最後に見たのが彼女の宿の光だからだろう。リタがベンジャミンと親しげだったのは、こういう映画にありがちな子どもは霊感が強く純粋だから霊がひかれる的なやつだろう。

それと、これは以前紹介した『サード・アイ』にも言えることだが、天に昇るために問題を解決したい霊は、どうして恐ろしい手段で訴えかけてくるのだろう。もう少し穏便にくればいいのに。

引っかかっている点が一つ。死者たちは家族のもとや故郷に帰りたいからリアナたちにさまざまな手段で訴えかける。リアナが頭のない人影を見るシーンがあるが、この人物の遺体は沿岸警備隊によって回収されているはずだから、彼の幽霊はなぜでてきたのだろうか? 遺体が回収されないことへの根本的解決や、運航会社や沿岸警備隊の責任を問いたかっただろうか?

 

綺麗なだけじゃないフィリピン

私たちが想像するフィリピンと言えば、抜けるような青い空に、空と交わりそうなほど青く透明な海、そして陽気な気候と人々だ。いっぽうで、フィリピンは貧富の差が激しく観光地以外では治安が良くないこと、少数ながら存在するイスラム過激派などの問題が多い。2016年に誕生したドゥテルテ大統領は、治安改善のためとはいえ麻薬犯罪者を法的手続きなしに処刑する政策をとり、国際社会から非難を浴びた。フィリピンはけっして南の楽園ではなく、どこの国にもあることだが、大きな問題を抱えている。

本作では海は重要な要素だが、その表情はけっして南国らしいものではない。導入から穏やかながら灰色で、陰鬱とした海が映される。制作会社、主要スタッフ、役者名のシンプルな字幕と、荘厳ながら不穏な音楽、タイトルが出て海岸遠景からリアナへと迫るカメラ。この冒頭のシーンは八十年代のホラーを彷彿とさせるところがあり、作品の雰囲気を掴めるので好きだ。また、リアナの視線の先に横たわる巨大なオーロラ号の構図も良い。作品の内容にあった画作りができている点は評価したい。

ストーリーは、フィリピンの社会問題を反映しているのだろうが、内容としては平凡。もう少しホラーを強めるか、後半にあった沈没直前の船にいる場面のようなものを増やしてもよかったと思う。沈没間近の船の様子は真に迫っているし、同じ内容を繰り返す船長のアナウンスなども演出として面白い。それだけに序盤と中盤のゆっくりとした展開はもったいない。音楽はとてもいい。

 

 

まとめ

画作りはとてもよくできており、音楽も素晴らしいので、陰鬱としてやや幻想的な映画の雰囲気は良い。いっぽうで、ストーリーは盛り上がりにかけ全体としてぼやけてしまっており、特別心に残るようなものではないのが残念。ぜひともこの雰囲気で、ガチガチのホラーを見てみたい。