自分という病

主に映画の感想 たまに変なことも書きます。あらすじは長いです。

映画感想  ノック・ノック

『ノック・ノック』

  (原題:Knock Knock)

2015年 99分 アメリ

評価 6.5点/10点満点中

 

 

みんな大好きキアヌ・リーブス。すでに人気シリーズの『ジョン・ウィック』の三作目がアメリカでは公開している。日本でも今秋公開予定だ。また、ゲーム『サイバー・パンク2077』にも出演することが決まっている。

あるときはコンピューターが支配する世界の救世主であり、あるときは鉛筆一本で三人の男を殺す殺し屋。そんなキアヌが本作で演じるのは、良くも悪くも普通の男。

妻子を愛するエヴァンが、週末にひとり自宅に残って仕事をしていると、ずぶ濡れの美女二人が彼を訪ねてくる。友人宅に行こうとして道に迷ったと言う二人を親切心から招き入れるエヴァンだが、それが彼の地獄の始まりだった。以上が本作のざっくりとしたあらすじ。

美人を用いた罠というのは、古今東西世界中で行われていた。中国の三十六計には美人計があり、冷戦時代のスパイ合戦でもハニートラップが用いられた。もちろん、こうした罠は国家レベルでなくとも、もっと規模でも行われる。美人局という言葉がその危険性を表している。みなさんも、美女と運命的な出会いを果たしたときには気を付けてもらいたい。

 

 

 

 

 

 

 

あらすじ(ネタバレなし)

建築家のエヴァンは、芸術家の妻カレンとふたりの子どもとともに幸せな日々を送っている。ある朝、エヴァンは久しぶりに妻と体を重ねようとしたが、子どもたちが突然寝室にはいってくる。子どもたちは父の日を祝いケーキと自分たちの写真を貼った時計をプレゼントし、エヴァンもそれを受け取って喜ぶ。子どもたちが寝室から出た後、エヴァンは再びカレンに迫るが、子どもたちが起きてしまったからと彼女は拒否する。エヴァンは欲求不満を示しながらも、仕方がないと納得する。

カレンと子どもたちは、週末をビーチで過ごすバカンスための準備に取り掛かる。エヴァンだけは仕事のため、飼い犬のモンキーとともに留守番することが決まっている。出かける前にカレンのエージェントであるルイスがやって来て、開かれるカレンの個展のカタログを持ってくる。ルイスは家にある彫刻の運搬についてカレンと打ち合わせをすると、休日中に取りに来ると言って去る。カレンはエヴァンに、肩の手術をした彼のマッサージをしてくれるヴィヴィアンが休日中に訪ねてくることを知らせると、子どもたちとバカンスへと出かける。

夜半過ぎ、音楽を流しながら仕事を続けるエヴァンは、家の戸を叩く音を聞く。不審に思いながらも玄関の戸を開けると、そこには雨でずぶ濡れになった若い二人の女性が立っている。友人宅で開かれるパーティーに向かっている途中で道に迷ったという二人。携帯も雨に濡れて使えず、この辺りの家はみんな留守で困っていたと語る二人を、エヴァンは家に招き入れる。パソコンが使えればFacebookから友人の住所がわかると言う二人に、エヴァンはタオルとiPadを持ってくる。金髪の女性はベルと、黒髪の女性はジェネシスと名乗る。iPadを使ってFacebookを見たジェネシスは、タクシーの運転手が地名を間違えてまったく別のところに運ばれたと言う。エヴァンは彼女たちのためにタクシーを。

タクシーの到着まで四十五分かかるというので、二人は服を乾かすために乾燥機を貸してくれと頼む。エヴァンは二人にバスローブを渡しお茶を出すと、彼女たちが脱いだ衣服を乾燥機に入れる。バスローブに着替えた二人は、リビングにあったレコードプレーヤーを使って音楽をかける。昔DJをやっていたことをエヴァンが語ると、三人はリビングで話し始める。エヴァンの容姿を誉めそやし、過剰なボディ・タッチや性的な話をおおっぴらにする二人にエヴァンは戸惑う。タクシーの到着の時間が近づいたとき、ジェネシスがトイレを借りたいとバスルームへ向かう。するとベルはエヴァンに寄り添い、私たちの出会いは運命だと囁く。二人の唇が触れそうになったとき、タクシーの到着を知らせるバイブレーションが鳴る。

ベルはジェネシスを呼んでくるとバスルームへ行き、エヴァンは二人の服を乾燥機から取り出す。なかなかやってこない二人を呼びにエヴァンがバスルームに入ると、裸になっていた二人がエヴァンを誘惑する。エヴァンは妻子がいることを理由に拒絶しようとするが、二人はエヴァンのズボンを下ろすとそのまま彼の性器を咥える。エヴァンはその快感にあらがえず、そのまま二人とともにベッドに行き、激しいセックスをする。

朝になり目覚めたエヴァンは、シャワーを浴びようと入ったバスルームに散らかった衣服を見て昨日のことを思い出す。エヴァンは二人の笑い声が聞こえるキッチンに向かうと、二人はキッチンを散らかし放題にして朝食を食べている。どこへでも送っていくというエヴァンに対して、二人はパリや東京など、到底行くことのできない場所の名前を上げてふざける。変貌した二人の態度に戸惑うエヴァンのもとに、カレンから電話がかかってくる。

一晩の過ちを犯したエヴァン。ジェネシスとベルに翻弄される彼は、どんどん泥沼へとはまっていく。そして二人の美女の真の目的とは?

 

 

 

 

 

 

 

感想(ネタバレあり)

女の足駄にて作れる笛には秋の鹿寄る

上のは、女の色香に男は惑わされやすい、という意味の慣用句である。言葉を意訳すれば、女の履いた下駄で作った笛には、発情期の鹿も惑わされてよってくる。女の履いた靴といえば、現代でも寄ってくる変態諸氏は少なくなさそうだ。

いたって普通の男エヴァンが、若い女に人生を弄ばれるのが本作の骨子。誰だってエヴァンのような事態に陥ることがあるし、ことは親切心から始まったのだ。

初めの五分で、エヴァンが家族思いであることが描かれているが、同時に性的に欲求不満であることも示されている。そこにずぶ濡れの若い美女がやってきて、しかも裸で魅了してきたとなれば、彼としては抗うのは難しかったのだろう。

また、エヴァンは家族思いであるのと同時に、自分が犯した過ちに対して保身を図る場面が多い。二人に追いつめられるエヴァンはしきりに、自分は妻と子どもを愛していると言う。自分は妻と子どもを愛している善良な人間だから許してくれ、エヴァンはそう主張するのだ。彼に非がなかったとなればそうではない。彼は誘惑に負けたし、一晩だけならという気持ちで彼女たちを抱いたのだ。エヴァンが家族を愛していないわけではない。妻子を愛していても、人間には隙ができるし、その隙をついてくる人間がいる。小市民としてのエヴァンの描き方は上手い。それはエヴァンのもとを去る二人のセリフからも明らかだ。誰だってひっかかる、と二人は言う。

キアヌの演技もあいまって、追い込まれる普通の男がよく描かれている。全編を通してエヴァンはジェネシスとベルに翻弄されて、情けない姿をさらしている。実際に人間がこのような事態に陥ったら、果敢に立ち向かったり冷静に対処法を考えるのは難しいのかもしれない。

ただ、最後のエヴァンの描き方には不満がある。ジェネシスとベルによって、さながらディグダ・キアヌの姿という風に頭以外を埋められた彼は、なんとか手を地面から出して、Facebookに乗せられた自分の動画を消そうとして、間違っていいねを押してしまい、天を仰いで雄たけびをあげる。このシーンに関しては、すこしコメディに寄り過ぎている。オチをつけるためにこういう演出にしたのだろうが、せっかく社会的に抹殺されたも同然のエヴァンに寄せていた感情が、唐突に離れてしまう。こういうことって自分にもあるかもなーと感じていたものが、急に笑いに変わっては、九十分かけて作ったキャラや視聴者の感情が崩れてしまう。

全体としてはエヴァンのキャラはよくできていて、作品にリアリティを与えている。いっぽうで、ジェネシスとベルのキャラクターや行動は、エヴァンのそれと比べると稚拙に思える。

 

オークランド出身は悪党が一目でわかる

ジェネシスとベルはあらかじめエヴァンの家を盗聴しているなど、計画を綿密に練っていたことがわかる。しかし、彼女たちの計画は完ぺきとは言えない。いたるところにヒビがあり、簡単に崩れてしまうような代物だ。だからこそ、彼女たちの計画通りに展開が進むことに、脚本の無理やりさを感じる。

まず、エヴァンが警察に電話したとき。ジェネシスがとっさに電話を切ってエヴァンの要求を呑むことで事なきを得るが、あのとき警察を呼ばれていれば二人は確実にアウトだった。これが計画外だったことは、のちの二人の行動からわかる。二人はエヴァンの不意をついて彼を気絶させ拘束し、彼女たちが言うゲームを再開する。しかし、自分たちとの関係をネタに他人を貶めることが彼女たちのゲームなら、暴力を行使してゲームを続けるのは反則のように思える。ゲームならば、彼女たちは一度負けているのだ。女の色香に惑わされて破滅する男というコンセプトは、ここで一度崩れている。

ルイスの割り込みについても同様だ。彼女たちは盗聴までして計画を練っていたのにも関わらず、ルイスの来訪や彼がどこまでエヴァン一家のことを知っているかを把握していなかった。自分たちがルイスの姪とその友達ということはあっさりと見破られ、色仕掛けも通じない。極めつけは、「オークランド出身だ。悪党は見りゃ分かる」のセリフだ(実際にオークランドは治安が悪い)。このセリフは大好き。ルイスがさっさと警察を呼んでいれば、彼女たちはあっさりとお縄になっていた。ルイスがエヴァンやカレンの作品を気にかけて、また彼に持病があったからルイスを排除できたのであって、ここでもジェネシスとベルはまったくの偶然に助けられている。ゲームというからには、運が絡むのも一興ということなのだろうか。それにルイスが足を滑らせて死んでしまうところは、某ゾンビ映画の「足が滑って死んだ」並みに展開としては理不尽だ。

彼女たちの計画が実に中途半端に思えて、彼女たちの思うように自体が進むのが理不尽に思える。

また、ジェネシス言葉には家族を愛し抜かない男をあざ笑うかのような含みがあり、彼女のセリフのいくつかには、男に対する敵愾心のようなものが見える。てっきり、二人はエヴァンがDJだったころにどこかで作った子どもで、捨てられた母のために復讐にきたのかと考えたが、ただの邪推だったようだ。彼女たちの生い立ちになにか事件があって、このようなことを始めたと推測することもできるが、それはただの推測に過ぎず、本編ではまったく語られない。ただの遊びという動機は、彼女たちの狂気性を演出しているというより、キャラとしての薄っぺらさを表しているように見える。

エヴァンと比べると、二人のキャラクター造形は雑だ。

 

 

まとめ

普通の男が丁寧だっただけに、彼と対となる翻弄する美女の描写が雑なのが残念。本作の骨子を揺がしてしまっている。もう少し展開に自然さを与え、ジェネシスとベルを丁寧に描けば、キアヌの演技と相まって、もっと良い作品になれただろう。なんにせよ、美味しい話や怪しい美女には気を付けよう。