自分という病

主に映画の感想 たまに変なことも書きます。あらすじは長いです。

映画感想 クリープ

『クリープ』(原題:Creep)

2014年 77分 アメリ

評価 8.5点/10点満点中

 

 

個人がネットを通じて仕事を請け負える時代。誰もが発注者になれ、受注者となれる。このシステムには良い面もあれば悪い面もある。例えば、相手が企業でないために、契約や法律の面でルーズなこと。また、あまりにも気軽に発注し受注できるため、突然のキャンセルや品物や料金の未納もあるだろう。だからこそ、発注側も受注側も十分な注意を払って利用しなければならない。もちろん、あなたが仕事を選ぶなら、報酬が良いからと言って安易に飛びついてはいけない。

本作『クリープ』の主人公アーロンも、ネットの美味しい仕事に飛びついた。たった一日の仕事で報酬は千ドル。しかし依頼人の素性も知れない。彼は訝しみながらも、依頼人の待つ家へと向かう。彼が出会った依頼人のジョセフにはある事情があり、、、

主人公が映像作家という設定のため、本作は彼のカメラを通したPOV視点。それを活かした演出もあり、タイトルの『クリープ』通り、足元から忍び寄るような恐怖がある。登場人物はほとんど二人で、予算もあまりかかっていないだろうが、良質なホラースリラーだ。じわじわとした恐怖、画面の中に漂う不気味な雰囲気、それらを味わいたい人にはおススメできる作品。画面酔いには注意。

 

 

 

あらすじ(ネタバレなし)

映像作家のアーロンは、一日千ドルの撮影の仕事のため車を走らせる。彼が向かうのは山の上、依頼人についても詳しくは知らない。依頼人の家に着いたアーロンだが、ベルを押しても反応はなく、電話にも依頼人はでない。アーロンが車に戻って依頼人を待とうとしたとき、突然、男が車の窓を叩く。驚いたアーロンを見て笑う男こそが依頼人のジョセフで、彼は驚かせたことに謝罪をしながらアーロンを家の中へと招く。家はジョセフの親せきの別荘だと言う。

家の中に入ったジョセフは、さっそく依頼の内容を語る。彼は数年前に癌になり、治療によって癌は消えたものの、最近になって脳に腫瘍があることが発覚、彼は余命が数か月だと医者に告げられる。彼には妻のアンジェラがおり、妻のお腹には子どもがいる。そこでジョセフは会うことのない子どものために、自分の何気ない一日を撮影して残そうと計画する。彼はこの考えは、映画の『マイ・ライフ』に触発されたと言う。ジョセフの事情を聞いたアーロンは、ジョセフの計画に喜んで協力することにする。

まず初めに、風呂に入るジョセフを撮るアーロン。浴槽に浸かるジョセフは、まだ見ぬ子どもに語りかけ、まるで一緒に入っているかのように振る舞う。ジョセフは自分が死ぬまでの悲しい数か月のことを考えると、いっそすぐに死ぬほうが良いと語り、湯船に顔をすっかり浸ける。心配したアーロンが浴槽を覗くと、ジョセフは飛び起きてアーロンを驚かす。タチの悪い冗談に謝罪しながら、自分の感性がずれているとジョセフは言う。ジョセフは外の空気を吸いに行くことを提案し、服を取ってきてくれとアーロンに頼む。

クローゼットを開けたアーロンは、中にあったオオカミの被り物に驚く。ジョセフが現れ、被り物は優しいオオカミのピーチファズだとカメラに向かって説明する。ジョセフはピーチファズを被ると、歌いながらダンスを披露する。

二人は車に乗り、ジョセフが行きたがっている「ラス・アグアス・ミラグロス・デ・コラソン」という場所に向かう。ハートの奇跡の水という名前のこの場所は山の中にあって、ここの水は病を癒すのだという。車を下りて二人はハイキングを始める。途中、ジョセフはまたアーロンを驚かせる。ジョセフはアーロンの目の中に殺意を見たと語り、それを本能的なものだと肯定する。ジョセフはアーロンに、家にある斧を見たときどう思ったと尋ねる。殺されるかもしれないと思った、とジョセフは答える。

ハイキングが長引き、アーロンが帰り道がわかるのかと尋ねると、ジョセフはわからないと返す。呆れるアーロンに対して、ジョセフは前に進むしかないと言い、見晴らしの岩場に走る。するとジョセフはアーロンを呼び、下を見るように言う。アーロンは、ハート形の穴が開いた岩を見る。目的のものを見つけた二人は喜び、お互いの体に水をかけあう。ジョセフは岩に、J+Aと書く。

帰りに、ジョセフの行きつけの店に二人は寄る。馴染みの店にもかかわらず、メニューを凝視するジョセフに違和感を抱いたアーロンだが、ジョセフはメニューが変わってるだけだと言い、彼が美味しいと太鼓判を押すパンケーキを頼む。

食事をしながら、恥を感じたことがあるか、とジョセフはアーロンに尋ねる。アーロンは戸惑いながらも、幼少期のことを語る。おねしょが治らなかったアーロンは、母が買ってきたおねしょを知らせるブザーを手首に着けて、友達の前でそれを鳴らしてしまったときのことを語る。その話に対してジョセフは、アーロンが家に来たときに彼を隠し撮りしていたことを謝罪する。どんな人物が来るのか不安だったと言うジョセフに、いい気はしないが済んだことだ、とアーロンは返し、ジョセフは許してくれたことに感謝する。

夜になり、帰ると言うアーロンをジョセフが引き留める。しつこく誘うジョセフに根負けしたアーロンは、一杯やるだけを条件に誘いに応じる。返事を聞いたジョセフは、笑いながら駆け足で家に入る。追って入ったアーロンをジョセフはまた驚かせる。

酒を飲みながら、ジョセフはアーロンに金に困っているのかと尋ねる。困っていないが楽ではないと答えたアーロンに、ジョセフは自分はかなりの額を稼いだから、援助をしようと持ちかける。アーロンはいちど断るが、ジョセフの説得に考えておくと言い酒をあおる。帰ろうとするアーロンに、ジョセフは自分が嘘をついていたと言う。

奇妙な言動を繰り返すジョセフ。そして彼が吐いていた嘘。やがてカメラは、恐ろしい真実を撮ることになる。

 

 

 

 

感想(ネタバレあり)

CRAZY LOVE

本作のなによりも素晴らしい点は、ジョセフ役のマーク・デュプラスの演技だろう。いきなりアーロンを驚かせたかと思うと、真剣な顔で身の上話をする。悲哀にあふれる表情で自分の悲しい未来を語ったかと思えば、ピーチファズとなって陽気に踊る。表面的には百面相、もしくは躁鬱の激しいキャラクターのジョセフだが、常に不穏な空気を漂わせている。彼は笑みを浮かべているシーンが多いが、硬直したように吊り上げられた口角、相手を見据える開かれた目、視聴者は彼の底に潜む狂気を感じ取れる。ジョセフはアーロンに対してずっとキャラクターを演じていたわけだが、果たして最後の彼も本当の彼だったのか。彼について視聴者がわかるのは、異常者の殺人鬼だということだけだ。

演技に関連して、ジョセフというキャラクターも魅力的だ。第一印象では不審な男でしかないが、アーロンのカメラを通して知ることのできる彼は、タチの悪いいたずらが好きだが、心ではそんな自分を恥じている善良な男性。しかし、アーロンがアンジェラからの電話を受け取ってからは変わる。そこから彼は変人から異常者へと変わる。煙のようだった恐怖が、明確な形をもった恐怖になる。そして彼からのビデオを通して、彼という恐怖はまた煙のようになる。最後のビデオでの彼の告白。視聴者はわかる。彼は異常者でありビデオの告白はただの演技だと。だってホラー映画だもの、スリラー映画だもの。けれども、彼の悲痛な面持ちにはその確信を揺るがすものがある。そしてアーロンは優しすぎた。白昼の湖畔、ベンチに座るアーロンの頭にピーチファズが斧を振り下ろすシーンは、ホラー映画の殺人シーンとしては格別な美しさを持っている。

前半は不気味なだけで、展開としては退屈だ。けれども、ジョセフがアーロンを最後の一杯に誘うところから、物語は目まぐるしくなる。メリーゴーランドからジェットコースターだ。不意に眠気に襲われるジョセフ。お酒を入れていたアーロンが睡眠薬を彼に持ったためだが、もしかして異常者はアーロンのほうでは、と思った人もいるだろう。ホラーやミステリーの見過ぎである。主人公が犯人、異常者なんてのはミステリーやホラーの常套手段なので、どうしても裏を見てしまう。制作側が意図したことかどうかはわからないが、物語は裏の裏をいく。決定的なのは、アンジェラからの電話だ。そしてジョセフはその狂気の片りんを見せる。

アーロンがジョセフに飛びかかり映像は切れ、それから映像はアーロンが大きなビニール袋を埋めるシーンへと変わる。ここでアーロンは殺されたのか、と思いきや、彼は生きており、さきほどの映像はアーロンが逃げ延びた彼に送り付けたものだとわかる。ここからが、この映画の本領発揮で、恐怖がアーロンと視聴者に忍び寄る。

ラスト、ジョセフがアーロン以外にも殺しを行っていたことがわかる。彼はいったいどういったタイプの異常者なのだろう。彼は殺しを楽しんでいるようにも見えるいっぽうで、アーロンに対してたしかに愛情のようなものを抱いていた。最後のビデオで語っていた、彼がキャラクターを演じてしまうこと、孤独であることは本当だろう。そして彼がアーロンを愛していたことも。二人の写真が入ったロケットも、ハートの奇跡の水の岩に描いたJ+Aのイニシャルを囲うハートも、まったく偽りのない愛情だ。惜しむらくは、ジョセフにとって相手の愛情を確かめる方法と究極の愛し方が、相手を殺すしかなかったことか。

足元になにかがいる気がする。下を覗いてもなにも見えない。足をなにかがくすぐる。急いで下を見ると、なにかが暗闇に消えていく。追いかけると、また足を撫でられる感触がある。今度も足元を見たが、暗闇にはなにもいない。気のせいだと思って安堵の息を吐くと、首筋に冷たいものが当たる。それがジョセフだ。

忘れてはならないのが、オオカミの被り物のピーチファズ。怖いけれど優しいオオカミは、ジョセフの微妙な性格を表している。オオカミは愛情深いが、愛を表現する方法がわからずに暴力的になる。ピーチファズのマスクを被ってアンジェラを犯したというエピソードも、ジョセフが持つ深い愛情と暴力性を表している。

 

誰がカメラを持ってるのか、誰が映像を見てるのか

本作は演出も素晴らしい。ひとつはPOVを存分に活かしたカメラの演出だ。前半は定石通り、アーロンの視点からストーリーが進むが、一度映像が乱れてからどこかに固定されたカメラがジョセフの姿を映す。ジョセフは大きなビニール袋を埋めており、この時点で視聴者は、アーロンが殺されてカメラの主はジョセフに切り替わったのだと思うだろう。しかし、その映像はアーロンがカメラでテレビの映像を撮っていたものだと判明し、アーロンの生存が確認できる。ホッとするのと同時に、恐怖はこれからが本番だということを示唆している。

後半はアーロンがジョセフにおびえる日々をカメラが撮る。夜、物音に警戒心を抱いて家中を歩き回るアーロンはカメラを置く。カメラは玄関に立つジョセフを捉えるが、彼は本当に何気なしに映っている。もしかしたら気づかなかった人もいるのではないだろうか。POVでなければ、ジョセフの姿ははっきりと映されただろう。だがPOVの本作では、クリープにふさわしい不気味さを演出している。

寝ているアーロンを撮るカメラが動き、何者かの手が伸びて彼の髪を切るシーン印象的だ。手の正体は映らないが、間違いなくジョセフだろう。本来、アーロン以外が動かすことのないカメラを、他の誰かが動かすことの恐怖。ジョセフが見えないからこそ恐ろしい演出だ。

個人的に一番のお気に入りは、ジョセフが帰ろうとするアーロンを誘うシーン。踊り場に立つジョセフを見上げるアングル。ジョセフの顔は逆光で見えない。アーロンを執拗に誘うジョセフの表情はどうなっていただろうか。笑っているのか、険しいのか、それとも獲物が罠に引っかかっていたことに舌をなめずっているのか。表情が見えていてもとらえどころのないジョセフというキャラクターだからこそ、顔が見えないこのシーンでは、彼の不気味さがよりいっそう強調される。

ぶれて臨場感をだそうとしているだけのPOVにはない、POVを活かした静かな恐怖が見事に映し出されている。

 

 

まとめ

正直、見る前はまったく期待していなかったが、見事に良い意味でその期待を裏切ってくれた作品。タイトル通り、「忍び寄るような恐怖」を徹頭徹尾に貫いた。臨場感をだすために使われることの多いPOVの、また違った使い方が見られるだろう。演出も演技もストーリーも、かなりの高レベルだと思う。POVで地味な絵面が続くところは人を選ぶだろうが、傑作ホラースリラーのひとつだろう。

 

 

余談1

ピーチファズ(PeachFuzz)は、硬い髭が生えてくる前の思春期の産毛、転じて初心な、未経験なという意味らしい。たぶん、その意味で使うことは一度もないだろう。直訳すると桃の綿毛。桃の表面に生えているあれだ。

余談2

「ラス・アグアス・ミラグロス・デ・コラソン」は、たぶんスペイン語l。スペイン語の綴りだと、“las aguas milagros de corazon”となるもっとも、これはあらかじめ岩を見つけていたジョセフが勝手にそれっぽくつけた名前だろう。